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映画「14歳の栞」 青春の轍

実在する中学校で、実名公表で映像化されているノンフィクションドキュメンタリー。2年6組35人の生徒全員にフォーカスをあてて、120分間淡々と学校生活と自宅での様子が映される。
複雑な思春期の少年少女にあそこまで腹を割らせた監督は、人間の構造を熟知してるんだろうな。保護者や教育委員会との調整、色々大変だったろうな。

作品内容

あの頃、一度も話さなかったあの人は、何を考えていたんだろう。
とある中学校の3学期、「2年6組」35人全員に密着し、ひとりひとりの物語を紐解いていく。そこには、劇的な主人公もいなければ、大きなどんでん返しもありません。それなのになぜか目が離せないのは、きっとそれが「誰もが通ってきたのに、まだ誰も見たことのなかった景色」だから。そしてその35人全員が、どこか自分と重なってしまうからかもしれません。
まだ子供か大人かも曖昧なその瞬間、私たちは、何に傷ついて、何に悩んで、何を後悔して、何を夢見て、何を決意して、そして、何に心がときめいていたのか。これは、私たちが一度立ち止まり、いつでもあの頃の気持ちに立ち返るための「栞」をはさむ映画です。

UPLINK吉祥寺 HPより引用


予告動画を見るだけでも、爆速で青春時代にトリップできる。懐かしさでゲボ吐きそうになるから気をつけろ。



以下、感想。
せめて予告だけでも観てほしいです。




中学時代を思い出すと真っ先に出るのは冬の夕暮れ。部活帰りに幼馴染とローソンで新商品を買い食いしながら帰ったあの道。
制服替わりの体操着、冬でも謎のプライドでコートは着ずブレザーオンリーだからこそ感じる冬の肌寒さと日没の早さが掛け合い、自分の意思とは裏腹にこれから何者かになろうとしてる独特の空気感が本作を見て5分ですぐに蘇った。

この作品でも夕暮れのシーンがいくつか使われている。
恋バナしながら帰る女子3人組。練習不足で楽器をうまくを吹けずへらへらふる吹奏楽部生。自分の才能の限界になんとなく気づきながらも黙々と体操の練習を続ける女子学生。
思えば、夕暮れから夜に移り変わるあの瞬間は、子どもから大人へ変わるグラデーションと重なる。
自分の得手・不得手を自覚し始めたり、社会に気づき始めながらも裸の自我がまだ許容される最後のひとときが、14歳なのかもしれない。

14歳の栞では、35人全員に焦点が当たる。性格の括りは似ていても、そこに至るまでの足跡は千差万別だ。
クラス全体を和ませるために自分のテンションを調整するやつ。イジリをツールとして使ってクラスメイトと距離を測るやつ。他人の意見をトレースして自意識のコントールを試みるやつ。夢へのセーフティネットをシビアに考えて勉強に励むやつ。
クラスの小さな社会システムの中でいかに生きやすく過ごすか、個性と擦り合わせて試行錯誤している。14歳でだ。
調整を重ねて、折衷案で腹落ちさせる大人と遜色ない。
しかも、拙いながらも現状を言語化してインタビューに臨んでいる。1億総表現者社会の賜物か、心底驚いた。


少し前、私とは何か 「個人」から「分人」へを読んだ。

人は多面体で、関わる相手で自分の属性も話し方も変わる分人性を帯びる。
どの面も自分だからこそ、関わる相手も点でなく線で見て、ネガは点で打つだけにとどめ、その人の素敵なポジな部分を探すように努めたくなった。
ネガは点、ポジは線を辿ると、自分が作り上げたイメージに過度な期待せず相手の心に任せて良いリレーションを築けるのかもしれない。

35人の生徒たちの背景を覗かせてもらい、その気持ちがより強くなった。
学校で全く喋らずゲームのことばかり考えてるおとなしそうな男子も、家に帰れば手作りのお菓子を家族に振る舞ってはにかんでいる。
周りから賞賛される優秀な女子も年の離れた弟の誕生に焦りを感じたり、なぜか学校に行きづらくなる。
14歳なりの悩みや考えは大人から見たら愛おしく感じるかもしれないけど、美しいなんて手放しには言えない。人知れず他者を傷つけているかもしれないし、映画上には写ってないダサくてかっこ悪い一面だって多分ある。
だからこそ、線で見続けてポジを見つけられたら、イヤなことだらけの世の中もラクに楽しく生きられるかもしれない。

記憶は朧げだけど、14歳当時の自分が悩んでいたことを彼らもリアルで同じように悩んでいた。
過去の自分と対話はもうできないけれど、失敗を含めてあの頃の自分を肯定したくなった。あの頃から轍をなぞってトライアルアンドエラーを繰り返した結果、今の自分があるから。


円盤化もサブスク化もされない劇場オンリーの作品で鑑賞チャンスは少ないけれど、機会があればすべての成人に観てほしい。

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