登山で甲斐性のある人になる
最初に言ってしまうが、私は意気地なしであり、
どうでもいいことに悩んでしまうこともある。
これって、自分自身が一番困る。
悩むことって本当に疲れるからだ。
だから、何も考えないでなんとかなる精神で行動する人をうらやましいと思うこともある。
しかし、生粋のなんとかなるでしょ人間はそれ相応の代償を払っているようにも見える。
失敗が我々に比べて多めだ。
入念に準備する我々には考えられないような苦難に直面するため、時折頓挫することもあるだろう。
そう考えると、やはりバランスって大事だなあと思う。
このバランスがいいと、甲斐性がある、間に合うといった表現がしっくりくるのではないか。
登山は、意気地なしの私に思い切って動く癖をつけさせてくれている気がする。
山の中での行動は大抵つべこべ言っている暇などないからだ。
一方で、早まりすぎた適当な判断は許されないから、持ち前の慎重さも失うことなく生かされる。
最初は、判断をぱぱっとすることに不安が募ったが、最近その先行きの絶妙な不透明さが楽しいと思う。
そういえば、最近スキーの非圧雪バーンにちょっと目覚めはじめた。
これもコブやパウダーなど一様ではなく楽しい。
そうそう、考え7~8割で突っ走ればだいたいなんとかなり、一番ハイパフォーマンスよ。
(いい加減な登山計画でいいと言っているわけではありません。安全第一。)
それでは。
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