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新妻望の「ナイフ」「遠回り」と私

新妻望ちゃんと知り合ってもう6年以上になる。
望ちゃんは高校生、私は大学生だった。
当時の俳句サロンの中で、短歌をメインフィールドにしているのは私と望ちゃんだけだった。

角川の短歌バトルで私が司会をした時、望ちゃんが観に来てくれた。
観に来ることを知らなかった私は、始まる前に客席から手を振る女の子がいるのが目に留まった。
目が悪い中、頑張って目を細めるとそこには見知った顔がいた。
同じ俳句サロンに出入りしているとはいえ、そんなにしょっちゅう会うわけではなかったし、望ちゃんは大人しくて控えめな子だったから、わざわざ観にきてもらえるほど仲良く思ってくれていたのかと嬉しくなった。

高校を卒業した望ちゃんは短歌や俳句よりも、音楽の道に邁進していったようだ。
ある時から見かけなくなり、共通の知人から音楽を頑張っていることをたまに聞く程度になった。

2022年、Twitterで「ナイフ」の演奏動画が流れてきた。
俳句仲間がリツイートしたものだった。
懐かしさで再生ボタンを押した。

衝撃を受けた。
それこそナイフのような言葉だった。
歌詞には「僕の言葉が誰を傷つけることも癒すこともできませんように」とあるが、実際は真逆だった。
一言一言に意味が乗っていて、聞くほどに辛い歌だった。
こんなに切実な歌は初めて聞いたかもしれない。
歌詞は「僕の言葉は一枚の窓 君の額を少し冷やすだけ」と続く。
私も言葉で作品を作る者だけど、負けたなぁと思う。
こんな短歌が作れたら良いのに。
数行の歌詞で人を揺すぶることができる望ちゃん。
いや、望ちゃんに限らない。
誰のどんな言葉だって、人に影響を与えてしまう。
私達の一喜一憂の理由の大半は誰かに何かを言われたことだ。
だからこそ、「僕の言葉が誰を傷つけることも癒すこともできませんように」と祈るのだろう。
無理だとわかっているからこそ。

先に挙げた歌詞も心を掴んで離さないのだが、この歌の歌詞を一箇所引けと言われたら、「いつか生きることが悪いことになっても僕たちお互いを気にしていよう」だ。

一人で家にいると布団から動けず、布団の中にいると「死にたい」としか思えなかった時、私は新宿に行った。
布団から出るのも着替えるのも大変だったけど、一人で家にいる辛さの方が勝った。
月曜日と土曜日、友達が新宿でカフェバーをやっている。
私は月曜日と土曜日に必ず出かけていった。
そこの店主は私に会うといつも「ゆり子さん体調どうですか?」と訊いてくれた。
それを愛だと思った。

そこで働いている女の子がある時、Twitterのスペースでエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を朗読していた。
それを聴いて「良い本だ」と思った私はすぐさまAmazonで注文した。

フロム曰く、「どんな形の愛にも、必ず共通する基本的な要素がいくつか見られる(中略)その要素とは、配慮、責任、尊重、知である」「愛に配慮が含まれていることをいちばんはっきりと示しているのは、子どもにたいする母の愛である。もし、ある母親に子どもにたいする配慮が欠けているのを見てしまったとしたら、つまり子どもに食べ物をあげたり、風呂に入れたり、快適な環境を与えるのを怠っているのを見てしまったら、たたえその母親が子どもを愛していると言ったとしても、その言葉を信じることはできないだろう」とのことだ。
そして、「愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである」と述べている。

私はフロムのこの意見に大賛成だ。
この本を教えてくれた友達は、私がカフェバーを退店する間際、「大事にしてくださいね。大事なんですから」と言ってくれた。
入店時に体調を訊いてくれる店主と、退店時に私のことを大事だと言ってその体を思ってくれる店員さんのいるお店のおかげで、私はいつ死んでもおかしくないような日々をやり過ごすことができた。

二人の愛は私を生かした。

私も、その二人も、世間の「期待される生き方」とは程遠い人生を送っている。(と私の目には映る)
我々の生き方をダメなものとして、「もし自分がこんな風に生きる羽目になったなら死んだ方がマシ」「こんな奴ら生きててもしょうがない」と思う人も、まあ、世の中にはいそうだなと思う。
そして、そういう声が大きくなっていく可能性も、今の世界にはあるかもねと思う。

その延長線上として、たとえば戦争が起こって、「メンタルを病んでいる⁉︎何を吐かすか、五体満足なら戦場へ行け」と言われたとして。
大混乱の世の中で、簡単に友達に会えない状況になったとして。
それでも私は、「いつか生きることが悪いことになっても僕たちお互いを気にしていよう」と言いたい。
物理的に助けることはおろか、関わりを持つこともできなくなった状況においても、「無事でいてほしい」「生きていてほしい」「できるなら元気でいてほしい」とその人を思い出して気にかけること、それはできるから。
そうやって人を愛していたいと思うから。

新妻望ちゃんの「遠回り」には、「意味がなくても理由がある いつだって遠回りばかりして楽しかったよ」とある。
私の人生がこんな風で、何年も病気で、全然自力で稼げなくて、そんな人生に意味をつけようとすればつけられる。
でもそれってちょっと頑張りが必要。
「病気になって人の優しさがわかりました」とか「底辺から這い上がって成功しました」とかの話がないと、意味付けって難しい。

でも理由はいくらでも転がっている。
いくらでも転がっていて、拾いつくせないくらいに。
そして、なんかこんな人生になっちゃった理由には必ずヒトがいる。
色んな人に色んなことを言われて、色んなことをされて、さらにそこに自分というヒトのせいもたくさん合わさって、それでこんな風になっちゃった。

そして、私の何年も病気で、全然自力で稼げない、なんかこんなになっちゃった人生では、俳句を作って遊んだり、友達の慶事を祝うついでにバカほど呑み明かしたり、華道に挑戦したり、男の悪口を言い合って笑ったり、という出来事も巻き起こった。
そこにも必ずヒトがいた。
そんな楽しい出来事は一人では体験できなかった。

辛いことがあって、人を求めて、人と関係を築いては辛いことに巻き込まれ、辛いことから逃げるためまた人と騒いだ。
人生の楽しかったことを思い出す時、そのちょっと前の時間には辛い出来事があった。
でもその辛い出来事が楽しいことのトリガーとなっているなら、まあいいかと許してしまえる。
皆んなが皆んなそうとは言わないけど、少なくとも2024年3月30日現在の私は、全部許してしまえる。

今の私に向かうべき目的地というのは特にない。
強いていえば、愛のある生き方をしていきたいというくらいだ。
愛のある生き方ができるようになるまで、愛のない生き方をしてしまうだろうし、これまでの人生は大方それだ。
それを遠回りと呼ぶとしたら、でもそれでも私は私の人生が楽しかったと確かに言える。
経済的な成功や、立派な肩書、精神的に完成された人間など、それらを目的地と設定したとして、そしてそれに程遠い生き方をしてきたとして、それでも楽しかったならそれでいいんじゃん、と思ってしまうのが、2024年3月30日現在の私だ。

「遠回りばかりして楽しかったよ」と望ちゃんが歌う時、私の眼前には新宿の仲間達の顔が浮かぶ。
もちろん私には、新宿とは関係ない、学生の時の友達や短歌の友達もたくさんいる。
でも、全員が全員、真っ直ぐには歩いて来れなかった奴らが新宿の仲間達だ。
その顔を思い出す時、誰も彼もが満面の笑みで酔っ払っている。
皆んなの笑顔を知っていること、私もその場で笑っていたこと、それを私の幸せだと感じる。
流れる時間の中で、会う頻度が減った仲間もいる。
これからだって、付き合う人間関係はどんどん変わっていくだろう。
そうした中でも、楽しい時間を過ごした仲間達の顔を思い出して、「元気にやってるかな」と気にかける瞬間を持ち続けたい。
それがきっと愛のある生き方になっていくのだと、そう思うから。

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