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短歌77(隠岐島へ渡った歌と旅行記録)

2024年4月13日〜15日 海士町へ

前に海うしろに山があるだけの眺めを眺む甲板に出て

人工物遥かになりて古(いにしえ)の人の目も見た海山(うみやま)がある

海と空、島と波とを群青の濃さにて描(えが)き分けた神様

海の水ときおり頬に当たるとき青春に似たさざめきがある

春なれば水の透きくることを言う今日の海しか知らぬわたしに

歩くとき私は風を生み出して日焼けた頬を優しく冷やす

すれ違う人全員に挨拶をしても疲れぬ人口密度

朝食に出た漬物をAmazonでポチッて配送先は実家に

東京都中野区産のシャンプーで島を発つ日の朝を始める

進むから惜しむのだ 白き泡立ちを挽きてフェリーは次の島へと


***

私は今、菱浦港から境港へ向かう船の中にいる。
これで5泊6日の旅のメインの目的を果たしたことになる。

4月12日の午前中、東京駅から岡山行きの新幹線に乗った。
Suicaアプリで「タッチでGo!新幹線」に設定しておくと、Suica残高で新幹線に乗れると書いてあったからやってみたのだがうまくできず、結局窓口で乗車券と自由席券を買った。
初めての一人旅、最初からなかなか難しい目に遭った。

そうは言っても厳密には二人旅。
「コダのんちゃん」ことコダックのぬいぐるみを連れている。
コダのんちゃんは被写体担当。
それ以外の全てが私の担当だ。

岡山からは特急に乗った。
新幹線から在来線への乗り換え口を通ってホームへ。
特急の券売機はホームにあるのかな、となんとなく思っていた。
しかし、しばらくホームを歩いてみても見当たらない。
窓口まで買いに戻るとすると次の特急には乗れないな、と思った。
階段を上がって窓口方面へ右折、そしたらそこに券売機が!!
発車まであと4分ほどしかない。
イケるか?いや、イケる!!
もうホームにいるだろう特急のチケットを買い、階段を駆け降りた。



乗れました。

米子駅から境線に乗り換え。
時間があったので、お土産物屋さんであご入りちくわを買い、齧りながら米子の街を歩いた。
お金を下ろしたくて入ったイオンのトイレで、女子高生が化粧談義をしていて可愛かった。
全員ジャージだった。

米子駅の境線ホームは妖怪で溢れていた。
今回の旅の目的は隠岐島に渡ることで、そのための前泊が境港だった。
正直、境港がどんな町か全然知らなかったし、興味もなかった。
だからこの時点では駅や町の「鬼太郎推し」の激しさにちょっと引いていたというか、うまく乗れなかった。

金霊(かなだま)

境港に一泊して、最終的に「この町最高!!」となった。
私はこの2年くらいで神様や目に見えないもの、スピリチュアル的なものを信じるようになって、精神世界の探究と自己の魂の成長に全力をかけて取り組んできた。
それが全て報われる体験を、この街でした。
もともと龍とは仲が良かったが、それ以外の妖怪や神様とも友達になった。
水木しげるロードに設置されている妖怪像全ての頭を撫で、その名を呼んだ。
「可愛いね」と声をかけた。
特に貧乏神と死神と心が通じた。
貧乏神には「大丈夫だよ」と、死神には「70年後にまた会おうね」と言った。
駅前の水木しげる像には「境港にお招きいただきありがとうございました」と手を合わせた。

愛する人々へたくさんの鬼太郎グッズを買い、隠岐島行きの船に乗り込んだ。

大きい船に2時間半、小さい船で10分の船旅。
2等客室に入ると、ほとんど全員が寝っ転がっていて驚いた。
え、船旅ってこんなかんじなの?まだ動き出してもないのに??
私はしばらく座って窓の外を見ていた。
それから甲板に出て短歌を作った。
でも、座っているのも疲れてきたし、この空間では横になっている方が普通な行動みたいだし、私も横になってみるかと思って寝てみた。
窓からの日差しにあたりながら、目を瞑って、耳には音楽を流し込んで、全身でエンジンの震えを感じていた。

太陽の光が『銀河鉄道の夜』に出てくる十字架みたい

小さい船は、西ノ島町・海士町・知夫村の3つの島を連絡している。
ジェットコースター並みのスピードで、目の前の空気の壁を引き裂きながら進んでいるような感覚になり、ただ乗っているだけで顔が険しくなってしまう。
そんな表情とは裏腹に、心はここまでの旅路のどの瞬間より跳ねていた。
私は飛沫が上がるのを見るのが大好きで、長瀞の川下りも好物だし、雨の日には乗っている車が水溜りを踏んでほしいとも思っている。
カメラを構えると海が気を利かせて、それまで以上に大きく飛沫をあげてくれた。
手を伸ばすと、小さな水の粒が肌に当たった。
それだけで私は最高に楽しかった。

郵便局が可愛かった

海士町の1日目は、紺屋さんで夕食をいただいた。
そこで、今日が綱引きの日だったことを知った。
海士町を少しでも知っている人なら綱引きがこの町でどれほど重要なイベントかもわかっているだろう。
紺屋さんの若い料理人さんは、綱引き大会に出場するからとこの日は休んでいた。
昼間の綱引きに全力で挑むため夜の仕事を休む。
この町では綱引きとはそういう存在だ。

私も無名人インタビューの海士町特集を読んでいて、もちろん綱引きの存在を知っていた。
しかし、その日程までは気にしていなかった。
島で一番エネルギーがうねるその日にここに来れたことから、私の魂の成長ぶりがわかった。
きっともう少し成長できたら、「何の計画もしてなかったけど来てみたらその町の祭りに遭遇した」ということばかりになるだろう。

帰る間際、紺屋さん一家が楽器を弾いてくれた。
お父さんがギターボーカル、お母さんがキーボード、娘さんがドラム。
いつもはそこに若き料理人のベースが入るそう。
お父さんが宿まで車で送ってくれたので、車内でスガシカオの布教をした。

海士町2日目。
3週間くらい断酒してたのに、旅行だからと酒を飲んだら翌朝めちゃめちゃ具合が悪くなった。
午前中に隠岐神社に行こうと思っていたが取りやめて、ベッドの中でTwitterをしていた。
家にいるのと変わらねぇ。

お昼を食べたら隠岐神社に行こうと思っていたが、お昼を食べたら横になりたくなってしまったので再び取りやめ。
前夜紺屋さんに行く時、そしてお昼を食べに行く道中気になっていた本屋さんがあったのだが、2回ともお店はやっていなかった。
それが、ホテルへ戻るときにはやっていた!
島の本屋さんのラインナップを確認し、思うところがあってノートを買おうと思ったのだが、これまた事の流れで結局、金城幸政の『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』と遠藤周作の『おバカさん』を買った。
島で本を買うとは思わなかった。

午後はずっと金城さんの本を読んでいた。
結論、私はこの本に出会うためにこの島まで来たことがわかった。
ここ2年くらいで90%くらいまで悟っていたのが、本屋に辿り着くまでに95%くらいになって、本を読んで98%くらいになった。
募金をして、友達にご当地カレーとハーブティーを買い、夫に電話をかけ、好きな人に旅の写真を送った。
それと、私の大事な大事な男の子の友達と、女の子の友達が結婚するというツイートを目にした。
命は繋がっていて、ひとりが変わる時、同時に周りの人も一緒に変わっていくこと、そして私が成長できるのは友達が変わろうと努力したそのエネルギーを私が受け取っているからなのだと、心の底から実感した。
頭ではわかっていたけれど、こうして現実が目の前に現れると、愛する人みんなと一緒になって幸せに向かっていけること、そのことこそを幸せに思った。
生まれてきて、生き延びられて、生きてこれて、これからも生きていけて、良かった。

そして海士町3日目。
朝ごはんを食べて、ヤマトさんでお土産を送って、荷物を整えて、大きい船に乗った。
朝の船は乗り換えなしで境港に向かう。
次に来る時は、行きも帰りも小さい船に乗り換えるつもりで来よう。
今日はこれから出雲へ向かう。
明日は出雲大社に挨拶をして、午後は奈良へ。
明後日はまだちゃんと決めてないけど、吉野の桜を見てもいいかなと思っている。

お友達のみんなへ
お土産とお土産話、楽しみにしててね。
東京に戻ったらまたすぐ会いにいきます。
                 ゆり子

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