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街中の菅原神社@小倉

菅原神社といえば、全国の各所にあります。
そのうちの一つである小倉に鎮座する菅原神社。

菅原道真公をおまつりし天神・学問の神様であり、小倉府内の氏神さまとして、安産祈願・お宮参り・七五三・厄払い・賀寿の祝など生涯を通じてのご祈願をする身近な神社です。

JR小倉駅より平和通りを南下した古船場町にあり、公共交通機関だとモノレールの旦過駅やバスだと紺屋町の直ぐそばにあります。
ビジネスホテルやマンションに囲まれたビルの谷間に鎮座しています。

こじんまりとした境内には、鳥居や太鼓橋と言った神社のアイテムをちゃんと備えています。

天満宮らしく御神牛もいらっしゃいました。

御本殿は、千木は外削ぎ、鰹木は3本。

絵馬は、梅と合格祈願をあしらったデザインになっていて、天満宮の絵馬らしくなっています。
入試シーズンになると受験生の合格祈願の祈りが込められた沢山の絵馬が奉納されます。


御祭神
 正殿・菅原道真公
 相殿・豊日別尊 外八柱

御由緒
菅原道真公が、京都より左遷され、筑紫へ向かう途中、神嶽川(かんたけがわ)のほとりで一休みし、風光明媚な企救(きく)の浦を賞でられた跡と伝え云われています。
道真の死後、その遺徳を偲び、その跡地、つまり今の「天神島」に一祠を建立したのが始まり。平安時代前期にあたる。
慶長7年(1602年)1月、細川忠興が小倉城築城の際、一小祠となっていた当社を瀧本院とともに配祠し、城下民の信仰を勧めた。
寛永9年(1632年)2月、小笠原忠真が入城後、夫人永貞院の尊崇が特に厚く、若君(2代藩主小笠原忠雄)の養育に学問の神の教訓をもってあたったという。
忠真は慶安元年(1648年)2月、社殿を修築し、神宝を納め、公式に城下民子女の「教育祈願所」と定めた。
幕末の慶応2年(1866年)8月1日の戦火で小倉の町とともに焼失、神仏分離の影響もあり、御神体は一時、仲津郡国分村(現 京都郡国分寺)に遷座。
明治13年(1880年)6月、小倉府内の末社だった吉野社・松尾社・厩戸社・生目八幡神社・高住神社を合祀した。
小倉府内の氏神として、豊日別尊・木花咲耶媛命・大山咋命・市寸島比賣命・豊總耳皇命・景清霊・水分尊・宇迦之魂尊・猿田彦命・大国主命を併せて祀る。

■ 豊日別尊(トヨヒワケのミコト)
  豊前・豊後の国の国神
■ 木花咲耶媛命(コノハナサクヤヒメのミコト)
   花の神・山火鎮護・縁結び・子授・安産・妻の幸せを守る神・酒造の神
■ 大山咋命(オオヤマクヒのミコト)
  山の神・開拓土木建築・酒の神
■ 市寸島比賣命(イチキシマヒメのミコト)
   海の神・航海安全・漁業・運輸・五穀豊穣の神
■ 豊總耳皇命(トヨトミミのスメラミコト)
  聖徳太子
■ 景清霊(カゲキヨのミタマ)
  清水の神・目の神
■ 水分尊(ミクマリのミコト)
  水の神・安産・妊娠祈願
■ 宇迦之魂尊(ウカノミタマのミコト)
   五穀の神・稲荷神・商売繁昌・家内安全・交通安全・火災除け・
  災難除け・子孫繁栄・種子を生じ食料確保に大功績
■ 猿田彦命(サルタヒコのミコト)
  交通の神・産業の神・商売繁昌・夫婦和合・長寿祈願・安産の神
■ 大国主命(オオクニヌシのミコト)
  縁結び
※出典:菅原神社HPより


御朱印


街中にある菅原神社。
小倉府内の氏神と言うだけあって、日々多くの人が参拝している。
特に通勤途中の人々が、通りすがりに一礼をして行く様を見ると、愛されている神社であることがよくわかる。
特に福岡県人は、太宰府天満宮(天神様)には親近感を持っているからだろうか、私もついつい足を運んでしまう。
街の喧騒を忘れさせるひとときをいただける場所だと思う。
小さな小さな神社ですが、見飽きることのない素敵な神社です。
大きな神社もいいですが、こんな小さな神社は日常には欠かせない心の拠り所のような気がします。


神社: 小倉菅原神社
住所: 福岡県北九州市小倉北区古船場町一番六号
HP: http://www.sugakou.or.jp/index.html



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