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白蛇と竜神の篠崎八幡神社@小倉

北九州市の小倉にある北九州都市高速道路・紫川ICのそばにある大きな赤鳥居が目印の神社。
ちょうど小倉の中心に位置し、緑の木々に囲まれた社殿や鮮やかな朱が美しい随神門をもつ「篠崎八幡宮」。
1400年以上の歴史をもち、「北九州の八幡様」として多くの人に親しまれている神社です。

車で随神門をくぐり、駐車場へ。
山道の階段を登り詰めると朱と白が織りなすコントラストが美しい神門が。

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神門をくぐると、開けた境内の奥に拝殿が見えます。
とても華やかなお姿です。
篠崎八幡神社では、多くの人がここで結婚式を挙げられています。
この場所に立てばその理由がわかる気がします。

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さてさて、
篠崎八幡神社は、安産祈願や恋愛成就に御利益があると言われていますが、その理由が下記の昔話にあるそうです。

昔話・蛇の枕石
昔、宮尾山の麓の蛇渕というところに悪さを働く一匹の大蛇が棲んでいました。困った村人が篠崎神社の宮司に相談したところ、出雲国にて八岐大蛇を退治した神の御霊をお招きしお祀りするようにと言われました。
そこで祠を建てて祀ったところ、八雲社のお導きにより大蛇はおとなしく優しい大蛇になりました。年頃になった大蛇は、美しい女蛇と出会い恋におちました。
ある日、女蛇のところに貴船神の急の使いがやって来て、大蛇に事を告げる間もなく去ってしまったのです。事情を知らない大蛇は、女蛇恋しさに紫川左岸の蛇渕(現在の木町付近)の大石に毎夜現われては、その石を枕に大声で泣き続けました。この様子を見兼ねた八雲社の祭神が、大蛇を竜神に姿を変え、女蛇のもとへと導いてやった。という昔話があります。
このことから篠崎八幡宮の境内にある八雲の神様をお参りすると「恋愛成就」「子供の夜泣き封じ」にご利益があるとされています。

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この物語から、白蛇の題材に絵馬が描かれています。
とても可愛くて、愛らしい白蛇の絵馬はこの神社の特徴の一つです。


神社には、摂社、合祀されたお社が顕在されますが、朱色のお社が印象的なお宮がありました。
それが、摂社 賀茂宮です。
「雲龍殿 賀茂宮」
【御祭神】
・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
・市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)
・品田和気命(ほむたわけのみこと)
【御由緒】
明和二年(1765)小笠原四代藩主忠総公が加茂別雷命を勧請され、 続いて播磨国安志藩から養子に入られた五代藩主忠苗公が品田和気命、市寸島比売命を相殿に勧請す。
九代藩主小笠原忠幹公が文久二年(1862)に篠崎神社大宮司川江直種に命じて別殿を造立、賀茂宮を祭祀された。
その時忠幹公が額を奉納した。

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北九州のパワースポットの一つとされる篠崎八幡神社。
恋愛に関する昔話を有する神社は、恋愛成就の御利益があるとかないとか。
蛇の泣き石、力石といったまさにパワーストーンに触れて、みてはいかがですか?
とても素敵な場所にあるので、ちょっと車で寄ってみては如何でしょうか?
浄化されるかもしれませんよ。


御祭神
 仲哀天皇
 応神天皇
 神功皇后

御由緒
神社伝記、小倉市誌によると、仲哀天皇九年熊襲討伐のさなか、天皇は筑前国香椎宮で崩御された。その後、神功皇后が三韓を攻め、凱旋して筑前国宇美で皇子(後の応神天皇)をお産みになった。翌年、穴門(長門)の豊浦宮に向かう途中、鷹尾(高尾)山にさしかかると、山頂の大石に皇子をたたせ、遥かに長浜や文字ヶ関(門司)から穴門の方を望み、「穴門は近し」といわれたという。敏達天皇十二年(584年)に勅命によって、この故事に基づき鷹尾(高尾)山の麓の朝倉谷に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、葛城小藤丸を住まわせて祭祀に当たらせ『篠崎神社』とした。
天平二年(730年)宇佐八幡宮から分霊を勧請し、『篠崎八幡神社』とした。

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その大石を御利益のある霊石「力石」として崇敬されています。

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御朱印

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ポスター

A0_篠崎八幡神社_verCS5



神社: 篠崎八幡神社
住所: 福岡県北九州市小倉北区篠崎1-7-1
HP: http://www.shinozakihachimanjinja.or.jp/


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