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大隅國一ノ宮 鹿児島神宮@鹿児島

海幸彦、山幸彦の伝承の地であり、大隅國一ノ宮である鹿児島神宮。
一ノ宮とは、律令制の時代に地域の中で最も社格の高いとされる神社のことで、1国あたり1社を建前に選定された神社です。

ヒコホホデミノミコト(山幸彦)とその御姫・豊玉姫を主神とし仲哀・応神天皇・神功天皇とを合わせまつる旧「大隅一の宮」。
漆塗りの現神殿は宝暦6年(1756)、島津重年公により再建され、本殿は木造建築では県内でも最大級の広さと言われています。

JR隼人駅前から国分方面に車を走らせると、
突然、朱色の大鳥居が参拝者を待ち受けていました。
さすが、大隅國の一ノ宮って感じです。

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大鳥居をくぐり車を進めると、駐車場手前に立派な鳥居が・・・

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駐車場に車を止め、
木々に囲まれた境内へと導く大きな階段へ足を進めます。

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階段を登ると、立派な太鼓橋がありました。
やはり格式高く感じます。

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御神木
太鼓橋を渡ると右手に大きな木があります。
樹齢800年の御神木です。

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御神木を右手に見ながら、階段を登り進めると、本殿に続く参道です。
季節柄、七夕飾りが両サイドに立てられ、心地良い風の流れを感じます。

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亀石
鹿児島神宮内のパワースポット「亀石」。
主祭神、山幸彦の龍宮伝説によるものと言い伝えられている、亀の形にそっくりな自然石だそうです。
亀に見えるか見えないかは、あなた次第。
参拝する前に亀石を撫でると願いが叶いやすくなるそうです。

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本殿
朱塗りの本殿は、県内最大級の木造つくりの建物だそうです。

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広くて立派な拝殿。
ここに立つだけでご利益をたっぷりと戴けそうな感じです。
拝殿の天井には素晴らしい天井画が描かれていました。

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拝殿から振り返ると、神門のようになっているような・・・
そんな造りのお社です。
ここも素敵な風がそよいでしま。

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御本殿の千木は外削ぎ、鰹木は5本。

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境内にはいくつかのお社があり、武内神社(武内宿禰)のお社もありました。

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御祭神
 主祭神
  ・彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) (山幸彦)
  ・豊玉比売命 (とよたまひめのみこと)
 相殿神
  ・帯中津日子命 (たらしなかつひこのみこと) (仲哀天皇)
  ・息長帯比売命 (おきながたらしひめのみこと) (神功皇后)
  ・品陀和気命 (ほむだわけのみこと) (応神天皇・八幡大神)
  ・仲姫命 (なかつひめのみこと) (応神天皇皇后)
        
外摂末社 14社を奉斎する。
旧官幣大社 延喜式 式内社である。

御由緒
 鹿児島神宮の御祭神は海幸山幸の神話によるところの社で創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代とも伝えらています。御祭神彦火火出見尊 (別名山幸彦)はこの地に高千穂宮(皇居)を営み給い、500有余歳の長寿に亘り間農耕畜産漁猟の道を開拓し国家の基礎をつくられた。
 また正八幡宮、国分正八幡、大隅正八幡等とも称し全国正八幡の本宮でもあります。平安時代醍醐天皇の延喜式には大社に列し大隅國一之宮として朝野の崇敬篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ後鳥羽天皇建久年間(1198年)には社領2500余町歩の多きに至り、江戸末期まで千石を有していた。
 明治4年國幣中社、同7年神宮号宣下官幣中社、同28年官幣大社に列格、勅使皇族の御参拝は20余度に及び、昭和10年と49年には昭和天皇の行幸を仰いだ。
 現社殿は桃園天皇の宝暦6年(1756年)島津重シゲ年トシ公(24代)の造営になるものである。

※出所 鹿児島神宮HPより


御朱印

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御由緒

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鹿児島県の伝統工芸品にも指定されている「鯛車」「化粧箱」「初鼓」
それぞれ鹿児島神宮に伝承される信仰玩具だそうです。
それらがここ鹿児島神宮で売られていました。

初鼓(はつづん)
人馬一体になって踊る「初午祭」の馬を装飾する豆太鼓を模したものです。
お祭りの縁起物として売られ、信仰玩具としてはもちろん、地域に根付いた郷土玩具です。

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鯛車
浦島太郎物語のモデルにもなった「海幸彦と山幸彦伝説」の海幸彦の釣り針を呑んだ赤女魚(鯛)に因んだものが鯛車です。

香箱
豊玉姫の御輿入れの時の調度化粧箱にちなんだ「化粧箱」で、香箱ともいわれています。
また、山幸彦が海の御殿から帰るときに、海の神から“満ち潮の玉”と“引き潮の玉”をもらいますが、その玉が入っていた箱にちなんだものという話もあります。だから、玉手箱!

いずれも浦島太郎に通じるお話です。

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鹿児島県には、浦島伝説が多くあります。
特に指宿の龍宮神社が、浦島太郎伝説の神社とされています。
また県内にはゆかりの地が多くあり、ここ鹿児島神宮もその一つです。

神話 海幸山幸
鹿児島神宮は,山幸彦の孫である神武天皇が,祖父の宮殿「高千穂宮」を霊廟として祀ったものと伝えられています。
 山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)神話は,「浦島太郎」伝説のモデルともいわれています。
 宮崎には,天孫降臨の神話があり,昔,ニニギノミコトという神様が,天にある神様の国から地上に降りてきたといわれています。このニニギノミコトは,コノ ハナサクヤヒメという美しい女性と出会い,結婚しました。二人の子どもとして生まれたのが,ホデリノミコト,海幸彦,ヒコホホデミノミコト,山幸彦たちで す。
 兄の海幸彦は,海で魚釣りをして,弟の山幸彦は,山で狩りをして暮していました。あるとき,おたがいの仕事を取りかえてみたところ,山幸彦は海幸彦から借 りた釣りバリをなくしてしまいました。海幸彦にたいそう怒られた山幸彦は,途方にくれて,海の神様であるワタツミの宮殿を訪ねることにしました。ここで山 幸彦は海の神様の娘トヨタマヒメと出会い,二人は恋に落ちて,結婚しました。海の神様の宮殿に暮して3年,なくした釣りバリも見つかり,山幸彦は故郷に帰 ることにしました。山幸彦が帰り着いたのが宮崎市の青島といわれています。
 海の神様は山幸彦が釣りバリを返すとき,海幸彦が貧乏になるような呪文のかけ方を教えました。海幸彦は本当に貧乏になってしまい,怒って山幸彦を攻めて き ました。山幸彦は海の神様からもらった2つの珠(たま)を使って,まず洪水を起こし海幸彦をおぼれさせ,海幸彦が降参すると洪水を止めて助けました。それ 以降,海幸彦は山幸彦の家来になったということです。洪水が起きたとき,海幸彦は磐船(いわぶね)という船に乗って波間をただよい,流れ着いた先が日南市 北郷町といわれており,日南市北郷町には海幸彦を主祭神として祀る全国唯一の神社といわれる潮嶽神社(うしおたけじんじゃ)があります。
 その後,山幸彦は天皇家の祖となり,海幸彦は隼人族(はやとぞく)の祖となったといわれています。


神社: 鹿児島神宮
住所: 鹿児島県霧島市隼人町内2496番地1
HP: https://kagoshima-jingu.jp/index.php


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