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相模国一ノ宮、鶴岡八幡宮@鎌倉

相模国一ノ宮といえば、寒川神社、鶴岡八幡宮です。
いざ鎌倉!で有名な源頼朝が開いた鎌倉幕府の守護神、鶴岡八幡宮。
鎌倉といえば、鎌倉の大仏や紫陽花で有名な長谷寺などを連想しますが、鎌倉駅を降りて徒歩数分で目にすることのできる鶴岡八幡宮は一度は訪れたいと思っていた神社の一つです。
さあ、いざ!参拝!

若宮大路
由比ヶ浜海岸より八幡宮へ一直線に延びるおよそ2kmの参道。
源頼朝が鎌倉の街づくりの第一歩として京都の大路を模して造ったとか、また、妻・北条政子の安産を祈願して、頼朝公自らの指揮のもと、御家人たちが土石を運んで築造したと伝えられています。
今でも鎌倉の街は、若宮大路を中心に発展しています。

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鶴岡八幡宮の正面にあるのは、三ノ鳥居です。
一ノ鳥居は、若宮大路の先にある由比ヶ浜のそばにあります。
「浜の大鳥居」とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。
ニノ鳥居は、鎌倉駅を東側に進んだ先の若宮大路にあります。
二ノ鳥居の入口から、車道から1段高くなった参道になり、若宮大路の段葛と呼ばれる通りになります。
段葛という名は、葛石(かずらいし)を積み上げて造られたことから、そう呼ばれるようになったそうです。

さあ、三ノ鳥居で一礼をして本宮を目指します。

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太鼓橋
鳥居をくぐるとすぐに太鼓橋が現れます。
太鼓橋は、神社の本殿手前にある川や池は、人間の世界と神々が住まう領域との境界線を意味し、そこに架かる橋を渡ることは、神聖な場所に足を踏み入れることを意味するそうです。
なので、多くの神社で太鼓橋を見ることができますね。
鶴岡八幡宮にもこのように太鼓橋が残っているのですが、現在はここを渡ることはできなくなっています。

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さらに長い参道を通り、本宮へ向かいます。
奥に見えるのが本宮、手前に見えるのが舞殿です。

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手水舎
コロナの影響で、手水舎を使うことができません。
感染防止のために多くの神社仏閣が花手水にされてます。

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舞殿
源義経の側室である静御前が義経を慕い、舞を舞ったといわれる場所に建てられたという舞殿です。
今では神社での祭りや行事のほか、年間を通じ多くの結婚式が執り行われています。
また、お身体の不自由な方、体調の優れない方、階段の上り下りに自信のない方のために舞殿での参拝ができ、ここを「下拝殿」とも言います。

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拝殿を過ぎると長い石段が待ち構えています。

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大石段を登り詰めると本宮(神門)と奥に拝殿が見えてきます。

本宮の中心に掲げられた「八幡宮」の文字に注目です。
扁額の八の字は向かい合った鳩を具象化したものになっています。
そもそも鳩は八幡神の神使として広く知られ、全国のさまざまな八幡宮を移動させる際に、鳩が道案内をしたという歴史があるそうです。
石清水八幡宮の扁額の八の字も鳩を具象化しています。
また、戦国時代の戦では、勝運を呼ぶ鳥として鳩の絵柄を家紋に使ったり、出陣の際に勝利の鳥として使っていたそうです。

鎌倉の銘菓に鳩サブレがありますが、菓子職人が「八幡さまのお使い」である鳩をモチーフに作ったものだと言われています。

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本宮の中に入ってみると、拝殿、御本殿、周りには末社・武内社などがあります。
本宮の西側回廊は、宝物殿になっていて、鶴岡八幡宮の歴史に関する史料や御神宝を見ることができます。

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御本殿は、八幡造りのため削ぎや鰹木などは見ることが出来ません。
しかしながら立派なお社です。

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祈り鳩
願い事を八幡様に届ける伝書鳩として折り鳩があります。
折り鳩を開き、中に願い事を書いて、鳩の形に戻して納めるそうです。
鶴岡八幡宮では鳩みくじなど鳩にまつわるものが他にも多くあります。

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大いちょう絵馬
御神木の大銀杏が倒伐された後も、残った根から若木がすくすくと伸びる様から、「祈」「願」の絵馬が作られ、参拝者の願いを神様につないでいるとのことです。

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梶の葉の絵馬
七夕まつりにお目見えする「梶の葉の絵馬」です。
昔は七夕の夜に7枚の梶の葉に和歌を詠んだことから、七夕まつりの絵馬として、折り鳩と一緒に奉納します。

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本宮での参拝を終えて振り返ると、そこには由比ヶ浜まで続く参道が一望できます。
源頼朝が鎌倉の街をつくるのにランドマークとなる鶴岡八幡宮を作ったのがわかる気がします。
とても素晴らしい風景です。

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御祭神
「八幡神」
 ・応神天皇 
 ・比売神 
 ・神功皇后 

御由緒
鶴岡八幡宮は1063年 (康平6年) に源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりだそうです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、1180年 (治承4年) 鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、1191年(建久2年)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。
(鶴岡八幡宮公式由緒より)

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まだまだ多くの見所や名所がここにはあります。
放生祭、流鏑馬、源平池、政子石・・・鎌倉の町とともに栄えた神社だからこそ残されたものが多いのではないかと思います。
また何度訪れても、多くの参拝者がお参りをしています。
とても風光明媚な相模国の一ノ宮は、優しく参拝者を迎え入れてくれているように感じました。
歴史とともに栄えてきた鎌倉は、とても居心地の良い街です。
訪れてみて初めて実感しました。
そんな街を見守ってくださる鶴岡八幡宮、いい神社です。


神社: 鶴岡八幡宮
住所: 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
HP: https://www.hachimangu.or.jp/



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