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飲めない世界で酒を出す -VRChatとカクテルの世界-

*注 本稿はあくまで個人的見解……というか感想なのでいかなる参加イベントの意見を代表するものではありません。

まとめ

  • VRChatでカクテルは「存在は知っているが現実で飲んだことはない、飲んだことはないが提供される」ある種の謎を孕んだオブジェクトのひとつである

  • カクテルを実際に飲んだことがある人というのはおそらくVRChatの中では相当に少ないのではないか

  • よく「会話のきっかけ」となるように提供されるカクテルだが、VRの中では客とバーテンダーがそれをあたかも実在するかのように「見立てる」ことで仮想のカクテルという実態を帯びていると(個人的に)信じたい

はじめに

「カクテル」と呼ばれているもの。

私はカウンターに立つ。

目の前にあるスリー・ピース・シェイカーをそっと開け、中にラム、キュラソー、レモンを入れていく。メジャーカップとボトルの扱いは新人時代に散々叩き込まれた。一挙手一投足、すべてを客に見られている。バースプーンで軽く攪拌する仕草。氷を入れて、ストレーナとキャップをしっかりとねじ込む。シェイクは素早く行いたいが、この世界ではそうはいかない。

ここは現実ではない。メタバースと呼ばれる電子的世界。そこにいる仮想のバーテンダーが私だ。

素早く行えばシェイカーが手の動作と同期しなくなる。手から分離せず、かといってノロマな動きにならないようにする速度は、まだ見出しきれていない。私が見ている世界と、客が見ている世界が異なる、極めて相対論的な世界だからだ。この世界にいる人数、この世界の熱量を感じながら、しっかりと攪拌する。

シェイカーの蓋を開けて、客がじっと眺めているマティーニ・グラスに仮想の流体を注いでいく。客に出したそれは、味もなく、冷たい温感もないが、なんとかカクテルと呼んでもらえている。

飲めない酒を出すバーテンダーとして、私は今日もカウンターに立つ。でもなぜ? 飲めない酒に何の意味があるのか? 私は今日も考える。よいバーには、よい哲学が必要だからだ。少なくとも、物理現実ではそうらしい。

わたしの紹介

Club Sara's Buddyのわたし

こんにちは。わたしはあんのんといいます。いろいろな縁があって、複数のイベントでバーカウンターに立っています(Club Sara's Buddy, Bar Utarid, 引退しましたがサキュバス酒場LILITH)。とはいえ別にバーテンダーを生業としているわけではありません。それどころかいわゆるショートカクテルは、イベントで関わるようになってから勉強したくらいの浅いキャリアしかありません(今では酒瓶の置き場所に困るくらいですが)。
バーやカクテルについてまったく分かっていない人間なので、「この世界でカクテルはどういう位置なのか」「客にとってのカクテルはどういう存在なのか」というのは比較的早くから胸に抱いていた問いです。こういった哲学的問いに答えは明確に存在しませんが、これからバーのイベントをする人やバーワールドの設計をする人などへの助けになることを祈って、思考の流れをまとめることにしました。

カクテルに触れたことのある人は少ない

そもそも、カクテルを飲んだことがある人はとくにVRChatでは少ないです(おっと、ここで「カクテル」は批判を承知で「ショートカクテル」、つまりタンブラーやロックグラスで供されるもの「以外」ということにさせてください。「カクテル」は広義にはサワーやハイボールと言った馴染み深いものを含む広範な概念ですが、VRChatでいうカクテルギミックはほとんど「ショートカクテル」なので)。
そもそも、物理現実でもカクテルに触れられる機会というのはかなり限られているのが現状です。

平成27年度国勢調査抽出詳細集計によれば、日本のバーテンダーの人数は推計7520人しかいません(注1)。バーテンダー1人が1店舗を持っているという大胆な仮定をおいても、総店舗数は1万にも満たないのです。平成27年当時の20歳以上人口、つまり飲酒可能な人口1.027億人(平成27年度国勢調査より)を考えると、人口1万人あたり0.73店あることになります。
皆さんの周りにバーはありますか? 少なくとも、わたしの周りにはありません。(勉強のために行くときは泊まりがけです)

さらに言えば、飲酒習慣を持つ人もそこまで多いわけではありません。バーチャル美少女ねむ氏による「VR国勢調査2021」によれば、VRChatの年齢構成は51%が20代、28%が30代です。一方で、厚生労働省の調査(令和元年度国民健康・栄養調査)によれば、飲酒習慣を持つ人(週に3日以上、1日あたり1合以上飲む人)(注2)は20代で7.8%、30代で17.2%です。つまり、VRChatのボリュームゾーンである20代・30代の約11%が飲酒習慣を持つと推定します。飲酒習慣がない人はカクテルを飲まない、という強い主張をするわけではありませんが、飲むきっかけを得ることは相対的に乏しくなるでしょう。

また、「VR国勢調査2021」にあるように、8%の10代の存在を忘れてはいけません。バーがあるイベントでも、大体1割くらいの未成年参加者を見かけますので、感覚として合致しています。さらにこの調査はデスクトップ勢が対象外であることに留意しなければなりません。10代で高価なVR機器を買うことに壁がある人も多いでしょうから、総数としては8%以上を想定しなければならないと考えます。

上のように考えると、物理現実でバーに行ったりカクテルを頼む機会はそう皆が持てるものでもなく、お酒を飲む習慣がある人が多いわけでもありません。特にVRChatでは未成年者の存在もあり、ますますカクテルに馴染みのある人は少なくなります。
それにもかかわらず、VRChatの夜にはバーのイベントが多く開かれ、カクテルをVRで飲む人がいるわけです。そのものを飲んだことがないかもしれないのに、です。

客が求めている楽しさー情報としてのカクテル

Bar Utaridのわたし

飲んだことのないものが出てくるところで、人々は何を楽しんでいるのでしょうか。結局のところ、これは「人との触れ合い」や「バー(に限らずワールド)の雰囲気」が大きいというところに異論はあまりないのではないかと思います。そう言った意味では、カクテルは必須の存在ではありません。
現実のバーを考えると、バーにあるいろいろなお酒を楽しむだけではなく、こと日本ではバーテンダーの方との歓談や、その場にいる他の客と一期一会の会話を交わすことも大きな楽しみのひとつです。
VRでも同様に、お客として知り合い、フレンドとなって今も遊んでいるという人は少なからずいるはずです。物理現実、VRに限らずバーにはいろいろな出自の人が訪れます。全く異なる人生を歩んできた人との会話は、何者にも代えがたい刺激を生むことは間違いありません。
また、バーという特殊な環境に身を置くちょっとした緊張感や、独特の雰囲気を味わうために訪れる方もいるのではないでしょうか。現実のバーテンダーも、バーとカクテルの関係についてこのように言及しています。

お客様がバーに来て何かを飲まれる時、決してグラスの中の液体だけを求めているわけではないと思うんです。おそらく、全体的な体験を楽しみに来ているのではないか、それはBGMだったり、照明だったり、椅子の座り心地だったり、全体の環境とか雰囲気を求めているんだと思います。(『レミー・サヴァージュが語る5つの哲学』)

レミー・サヴァージュ 『レミー・サヴァージュが語る5つの哲学』

カクテルだけがある、というワールドは多くはないでしょう。そこにはカウンターがあり、酒瓶があり、照明はちょっと暗かったり、板張りの壁だったりコンクリート打ちっぱなしだったり……。イベント用ワールドならロゴや写真もあるかもしれません。現実の建築から離れたことが可能なVRの世界だからこそできる多様な形があります。

ここまで考えてくると、「人との触れ合い」にも「世界の総合的な演出」にも、カクテルは別に必須ではないような気がしてきます。つまりはバーテンダーもいらないかもしれません(失業です!)。
もちろん、バーというものにカクテルがあって欲しいという気持ちは十分にわかります。しかし現実のバーを考えても、別にカクテルでなくてもロックグラスやビールジョッキでも十分に成り立つ話です。
(わたしの行きつけのバーは頑なにショートカクテルを出そうとしません。グラスすらないのです)
わたしはなぜカウンターにいるのでしょうか? なぜカクテルがあるのでしょうか?

わたしはここにイベント主催者やワールド作者の「祈り」のようなものを見ました。イベント主催者やキャストが「カクテルを置くことによってキャストや客との会話のきっかけになってほしい」とたまに口にするのを聞きます。
飲んだことのないもの、想像もつかないものが出てきたとき、そこには謎があり、「これはなんですか?」と問われることが望まれているのです。そこから会話が始まり、客が楽しみにしイベント主催者が期待する「人との触れ合い」が実現することが望まれているのです。
お客同士あるいはお客とキャストとの会話が盛り上がっているかどうかは、飲みかけで放置されたカクテルがそれを証明してくれます。

バーテンダーは仮想のカクテルの夢を見るかー幻想としてのカクテル

サキュバス酒場でのわたしだったもの。カクテルはブルームーン。

なるほど、カクテルというものにはどうもちゃんと役割があるようです。しかしなんというか……これしかないのでしょうか?
「会話のきっかけ」であるなら、別にカクテルである必然性はないのです。他の適当なオブジェクトでも実現できます。カクテルであるのは、その世界がバーであるからきっかけを伝達する自然なオブジェクトの一つだったということに過ぎません。カクテルそのものに意味はなく、カクテルを媒介にした「情報」と呼ぶべきものが求められているものだということです。
ではカクテルはなんでもいいのでしょうか? バーテンダーがいて、いろいろなカクテルを作る意味はなんでしょうか?

ある行為に意味があるのかどうかを突き詰めて考えるのは、「人生に意味はあるのか」と同じぐらい問いにならない問いですが、あえて答えを探すなら、それは人の想像力の中にあると信じています。

わたしはVRでいろいろなカクテルを作ります。ほとんどは、相手が飲んだこともないものです。この時点では、先ほど言った「謎」というべき情報でしかありません。
わたしはカクテルの中身を説明します。現実のバーテンダーもすることがありますが、味覚のないVRではより身近な例を出したりしてわかりやすく伝えることを試みます。
これは「会話のきっかけ」の一つでもありますが、それ以上にわたしが注目したいのは、客がそれを聞いてあたかも実際に飲んだかのように想像してくれることです。

枯山水をはじめ、創作物には「それそのものではないがあたかも実際のもののように鑑賞」する「見立て」の手法がありますが、すべてが電子的存在のバーチャルではその「見立て」によっておおいに助けられているところがあります。(注3)
とくに視覚・聴覚以外の情報が乏しいバーチャルの世界では、味覚や嗅覚、触覚は (VR感度云々の話を抜きにしても) オブジェクトに触れる人の想像力によって補完されることになります。それそのものは存在しないのですが、それがあると信じるという二重思考によって幻想としてのオブジェクトが完成するのだと考えます。

強いアルコールのものならチビチビと、爽やかな柑橘のカクテルならくいっと一気に、香り高いハーブのカクテルならゆっくりと……。そこに実際のカクテルはありませんが、バーテンダーと客の想像が混ざり合い、幻想としてのカクテルが立ち現れる瞬間があります。ここに、単なる情報ではないある種の実体を持ったカクテルが誕生するのです。

そういったカクテルは常にひとつではありません。その人がどんなものを飲んできたか、体験してきたかで想像しやすいものが異なることでしょう。だからわたしはなるべくいろいろなカクテルを作っています。
そしてそのカクテルから客が想像したものに寄り添うことで、わたしという仮想のバーテンダーの存在が確かな形をもつのではないかと信じています。

おわりに

この文章を書いているのは5月29日日本時間9時39分。ちょうどVRChatを本格的に始めて1年の節目です。別に狙っていたわけではなかったのですが、「このイベントに果たしてわたしは要るのだろうか?」と自省すべきポイントはちらほらとあったので、節目の時までに思考の流れをまとめておく必要を感じ大急ぎで仕上げています。何かの結論を見出しているわけではないですが、取りとめもない思考を言語化することで見えてくるものもあるでしょう。多分。

この1年は10年分くらいいろいろな人に会って濃厚な年でした。フレンドのみんなやキャストの仲間たちには本当に感謝しきりです。本当にありがとうございます。

注釈

注1: 標準誤差率が気になるところですが見つかりませんでした。平成22年度国勢調査の設計によれば標準誤差は0.6-1.3%のようなので、おおむね1%と見ても、多く見積っても8000人を超えなさそうです。

注2: この「飲酒習慣」の定義がやや厳しいように思われるので、「週に1回以上飲酒する」を考えると、20代の26.9%、30代の33.0%が該当します。VRChatにいる20・30代の約29%が該当することになります。

注3: メタバースと「見立て」との関係についていろいろと資料を探しましたが、ひとつしか見つかりませんでした(谷 2020)。もう少しあってもいいような気がするのですが……。

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