殺って殺られて殺り殺られ『The Last of Us Part2』
発売延期や、事前のプロモーションでのバイオレンス度の高さ、発売前レビューでの盛り上がりなど話題に事欠かない作品の話。
PS3の世代の末期の2013年に発売された『The Last of Us』の続編です。
YouTubeやSNS等で様々なユーザーによる感想が見られますが、私も先日クリアしたのでちょっとした紹介を。核心部分のネタバレはしませんが、大まかな構成については言及しているため、何も知りたくない方は閲覧を控えてください。
あれから5年・・・
娘を失った男ジョエルと、孤独な少女エリーによる1年間に渡る旅を描いた前作は、荒廃した世界を旅する中で親子のような関係へ距離を縮めていくロードムービーとしての味わいが素晴らしいものでした。
コーマック・マッカーシー原作の『ザ・ロード』のような暗く、いつ略奪者に襲われるかわからない危険な世界を描く一方で、人が絶えたことで美しい自然を取り戻した世界を対比させるバランス感覚も上手い。さらには、『ウォーキング・デッド』を彷彿させるゾンビものとしての要素もあり、アルフォンソ・キュアロン監督の『トゥモロー・ワールド』的な男が少女のために命を賭す感動的なクライマックス、そこからエリーを守るためにジョエルがついた嘘で終わる苦みのあるエンディングなど今プレイしても非常に面白い作品です。
Part2はそれから5年後の話です。
相変わらず世界は崩壊しっぱなし、感染者や飢餓の恐怖は消えていませんが、ジョエルとエリーはアメリカ西部の山間の村に身を寄せています。2人で旅していたときとは違い、家があり、仲間もいる比較的安全な暮らし。19歳になったエリーはジョエルとやや距離がある状態なものの、親子のような関係性は続いています。
しかし、そんな平和な暮らしに悲劇が訪れます。
過去の因縁により起きる殺人がエリーを復讐へと駆り立てます。「絶対に殺す!皆殺しにしてやる!」殺人者を追って舞台はシアトルへ。Part2ではシアトルを中心に殺し殺される血なまぐさい復讐の連鎖が描かれます。
暴力!暴力!また暴力!
本作で特筆すべき点の一つは暴力描写です。
発売前のトレイラーでも強調されていた点で、主人公エリーがとにかく殺す殺す!ナイフでブスッと刺す様をじっくりアニメーションさせたり、即席サプレッサーでヘッドショットをかましたり、敵から奪い取ったマチェーテを叩きつけるなど、暴力度数は前作と比べるとかなり上がっています。
暴力の描写でいえば、エリー以外の人物による暴力もエゲツない。
本作ではエリーのいた村以外に2つの組織が登場しますが、弓矢で武装した新興宗教組織(野蛮な民族はかっこいいと思いますが、前時代的な人たちがアジア系ばかりなのはいいのかい?とは思います)は敵を吊るして惨殺。アメリカ軍を再編成したような連中も捕まえた敵を拷問しまくり。それぞれがそれぞれの正義で暴力を振るう果てしなき暴力が描かれています。
しかし、こうした強烈な暴力も長いプレイ時間で経験していくうちに食傷気味になってしまい、それほどショックも感じなくなってくるのが問題です。私がプレイしているのは日本版のため、人体破壊関連の描写については大幅に削減されたものであることも影響しているとは思いますが、プレイ中に何人も殺しているとだんだんと、「あーまた殺すのか」「いい加減にしてくれないかな?」「ハイハイ殺ります殺ります」と作業的になる感覚がありました。
手に入る弾数が限られているため、派手な立ち回りで撃ちまくるプレイスタイルでは即弾切れ、敵AIも優秀なので多人数との戦闘だと簡単にゲームオーバーとなります。よって、必然的に隠れて一人ずつ倒していくステルスが基本となります。地道な戦いはリアルではあるけど、セオリー化しやすく地味になりがちです。このことが、作業感や単調さを感じさせた要因だと思われます。同じ開発会社で同じく三人称視点のアクションゲームで、インディ・ジョーンズ的なライド感覚のアクションが展開される「アンチャーテッド」シリーズではこんなこともなかったので、この作品世界とゲーム性がアンマッチだったのではないでしょうか。
これって復讐者の時間感覚?
こうした単調さ(プレイスタイルにもよりますが)、食傷気味の暴力、そこに加えて数日間の話なのに長々30時間近いプレイ時間となる大ボリュームによって私は終盤に至ってはすっかり疲労困憊、正直に言えばウンザリしてしまっていたのですが、これは製作者サイドの思惑だったのかもしれないとも全てを終えた今では考えています。
大切なものを失った復讐のために暴力を振るい続けて、相手から大切なものを奪った人が今度は復讐される側となり、また奪われる。
暴力の連鎖を断ち切れず、復讐のことだけを考えている人々にとって時間の感覚は異なるのかもしれません。一刻も早く相手に迫りたいのに、たどり着かないことへの焦り、復讐以外の日常の時間が無駄に思えてならない感覚は私には想像するしかありませんが、復讐を遂げられない時間はとてつもなく長く感じるのかもしれません。そうした時間間隔をプレイヤーに擬似的に体験させようとしていたのだとしたら、製作者の目論見は見事に成功しています。しかし、それが面白かったのか?と問われると甚だ疑問です。
ギターが繋ぐ今と過去
本作の特徴の一つとして、過去の出来事を回想するシーンが要所で挿入される点があります。これもまた、過去に生きる復讐者の感覚の表現なのでしょうが、本人にとっては重要な出来事であっても、他人にとっては些細なことは現実の世界でもあるように、本作における回想シーンも無くても問題のない場面ばかりです。
ギターを爪弾くミニゲームから回想シーンに繋がるアイディアはDualShock4のタッチパッドを活かしていて秀逸ですし、雰囲気的にも叙情的で良いと思います。ただ、プレイヤーにとってはどうでもいいことばかりが語られているため、プレイヤーの側としてはそんなにしつこく回想せんでも・・・という感覚になってきます。キャラクターの心象世界の表現だと言われたら反論のしようがありませんが、じゃあ共感させたいのか?させたくないのか?はっきりしたらどうだ?と問いたくなるのです。エンディングを見る限り、製作者は共感させたくないのでしょう。だったら何がしたかったんだ・・・
ギターで紡がれた物語のエンディングもギターの音色で締められます。
殺し合いの末に全てを失い、カタルシスもまったくない中で響くギターの音色は凄まじく寂しいものがありましたが、その寂しさはエリーの心情というより、それまで複数の一人称で語られてきたゲームが最後に至っては何故か一人に絞られてしまうシナリオ的なモヤモヤと、一度に一人しか操作できないゲーム性ゆえの問題点かと悶々とする思考のモヤモヤの中でこうして終わっていくことに募る私の寂しさなのでした。ハァ・・・疲れた。
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