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#30 ガチャガチャと私

自分が大人になったなぁと感じる瞬間の1つは、
“好きな時にガチャガチャが出来ること”です。

しょぼいでしょうか。(笑)

自分が母親になったなぁと感じる瞬間の1つは、
「ガチャガチャやっていい??」と息子に聞かれることです。

私の幼少期は、ガチャガチャはNGでした。

「ダメ。」と返事が返ってきます。

自分も親になった今、その金銭感覚は理解できる気がします。

でも、「ダメ」の一言は、幼少期の私には寂しいものでした。


今日は、そんな私とガチャガチャのお話。



手前味噌ですが、息子はかなり聞き分けが良く、駄々をこねるなんてこともないので、「ガチャガチャやりたいーー!!」「1回だけ!」みたいなよくあるやり取りとは無縁です。


小学生になった今でも、帰り道に眺めて、「あ!これ回したい!」と言うこともありますが、「小銭が無いからまた明日ね」と言えば、すんなり諦めて、翌日には忘れています。(笑)

行き帰りのちょっとした楽しみにもなって、ガチャガチャって楽しいなぁと思ったりしています。


幼少期の私はと言うと、「ダメ」と即答されるので、ずっと我慢をしていました。

小学生になり、ガチャガチャでゲットしたの〜なんて話しながら可愛いキーホルダーをつけてる子を羨ましく思いながら、我慢していました。


そしてある日、近所のスーパーでおつかいをした帰り道に、お釣りで手に入った小銭で勝手にガチャガチャをしてしまったのです。

帰宅後、レシートのお釣りとお財布の小銭が合わないので、もちろん、なんで?と聞かれます。

今思えば苦しい言い訳ですが、
「店員さんが間違った」とか
「お財布をひっくり返して落としちゃった」とか、
あれこれ考えて、言い訳をしていました。

何度か繰り返すうちに、さすがに母親も怪しいと思ったのか、近所のスーパーにお釣りが足りないと言いに行きました。

店内に落ちてないか?渡し間違えてないか?などと会話をしている様子を見て、これはマズイ、、、と思い、その次からは、母親の財布から勝手に小銭を拝借するようになったのです。

おつかいに行く時は、必要な分だけを小銭入れにもらって出掛けていたので、お釣りの小銭が足りないのは一目瞭然でしたが、母親の財布から拝借する分には、気付かれませんでした。(恐らく)


でもきっと、気付かれなかった1番の理由は、ガチャガチャをやった後は、出てきた景品を帰り道に捨てていたからです。

持って帰ったらバレると思ったのでしょうか。

それよりも、罪悪感だったと思います。

嘘を重ねていること、お金を盗んでいることへの罪悪感から、楽しいとか嬉しいなんて気持ちは、ガチャガチャを回す時には残っていなかったんだろうと思います。

それでもやめられなかった。
まだ小さな私の心にずっと続けてきた我慢が限界だったのでしょうか。


どうやってやめたのか覚えていませんが、気が済むまで何度か繰り返し、虚しくなって自然とやめられたような気がします。


そんな、ガチャガチャと私です。


後悔と罪悪感が詰まったガチャガチャ。




今、「あ!このガチャガチャやりたい!」と言おうもんなら、孫のためにすぐに両替機に向かう父と母の背中があります。

私もこうすればよかった、なんて思います。

私も周りの子たちのようにガチャガチャをやりたい、と正直に言えばよかった、と。

お金を盗む罪悪感も、出てきた景品が後ろめたくて捨てる寂しさも、経験したくなかった。 

でも、母親として子育てをする今、その苦い経験は生きていると思えます。


最近まで私がハマって回していたハリーポッターのミニチュアが出てくるガチャガチャ。

夜の騎士バスが欲しくて何度も回しましたが、百味ビーンズばかり出てくる。

チラッと出てきたカプセルを見て、被りを確認したらもうカプセルすら開けずに持ち帰る自分に、大人になったなぁ、なんて思います。

やっぱり、しょぼいでしょうか。(笑)

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