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無人島で生き残れるね

 過食をする友達が居る。その子は肥満と程遠いので、その点において健康に問題は無いけれども、ストレスから大量にものを食べることに罪悪感があるらしい。

 私は生まれてこの方、食事をすることに罪悪感を覚えた経験が無いので、と言うかその経験があったところで、負の感情に必要以上の共感を寄せるつもりはないので、さしたる感慨もなく読み流す。
 日常の報告をLINEでされて、何と返したら良いのかは未だに分かっていない。「袋麺5人前食べた」と言われても感想なんぞ、そうか、くらいのものだろう。いや、一度に5人前か、すごいな。と思ってはいる。ぼうっとしていたら食事を摂らずに24時間が経過することもある側としては、随分健康的な報告だと思う。

 この1年程は、もう大体「無人島で生き残れるね」と返している。私にとって、最上級の賞賛である。

 何年も前、「泣きながらご飯を食べたことのある人間は大丈夫です」と言うのを初めて聞いた。誰から聞いたかは覚えていないけれど、たまに耳にする考えだ。
 その言葉が誰の励ましになるのかについてここでは深く論じないけれども、私はこれを何割かは正しいと思っている。

 泣きながら──涙を流す程に苦しいことがあっても、食事を取れるというのは強さだ。
 人間の生命を維持させる為に、食は必要不可欠だから。空腹を感じられること、何かを食べたいと思えること、実際に咀嚼し、胃に物を送れること。これは素晴らしい生命力の証だ。

 普段から食事を疎かにし、健康を損ね、気分が沈むと最初に食を手放す私には、沢山食べられる人間が非常に魅力的に映る。

 ストレスを溜め、困難な状況で食事ができる人間は、特に過食なんかをできる人間は、鬱になったときに何も食べられなくなる人間よりも生命力が強い。生きていく力を持っている。
 特に、偏食をせず、飽きずに同じものを大量に食べられるならば、ある日突然たった一人で無人島に飛ばされても充分に生きていける。格好良いと思う。ついでにやや関係ないことを言うと、私は大食らいでふくよかな歳上の女性をセクシーだと思っている。


「無人島で生き残れるね」と最初に言ったとき、何て返ってきたか具体的には覚えていない。

 ただ、「好き嫌いもなく過食のできる人間は生き残る。私は最初に死ぬ」と続けたとき、私の体重が適正よりも14kg軽いこと(と、一人暮らしでろくな栄養を摂らなかったおかげで風邪をひき、こじらせ、2週間熱で寝込み、その内1週間は声を出せなくなったことがあるの)を知っている友達は、笑っていた。
 無人島という恐らく多くの人間には極端に感じられる例を出したが、無人島で生き残れるなら社会生活でも生き残るだろう。何はともあれ最後に立って笑っているのは生命力のある人間だ。死んでは元も子もない。


 最近その子を話の流れで

『無人島で生き残れるし他人の為に行動できる
人間が生きていく上で必要な2つが揃っている』

 と表現したら、無人島で生き残る力が思いやりも先に挙げられることについて突っ込みを受けた。
 生き残るっていうのはほんとうにだいじなことなので、『好きなタイプは無人島で生き残れる人』と返しておいた。

 私の好きな人は生き残れるのかと問われたので、たぶんむり、と答えた。西野カナさんも『Darling』で『いつか友達と語り合った 理想の人と まるでかけ離れているのに』と歌っている。

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