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0803_人肌

 人肌に触れたいと、温かさに触れてみたいと思ったときは一体どうしたら良いのだろうか。自分の両手をクロスして背に回し、ぎゅっと抱き締めて見たところで、それは私の温かさである。

 私には恋人がいたことがない。恋愛だけでなく、昔から心が絡むこと全般が苦手であり、恋人がいないこともそうだが、友人も数えるほどしかいない。人が苦手なのかもしれない。
 それでも、誰かに触れたいとか、不意に抱き締めてほしくなる欲求なんかが溢れてくるのは、私がわずかに人間であることの証明になるだろうか。でも、一人なのだからどうしようもない。そんなことを最近ずっと考えたり考えなかったりしていたら、通勤電車の中で、涙が出てきたのだった。真正面を向いたまま、つーっと、ひとつ。そこからポタリと。
 始発に近い電車の中、乗客はあまりなく、私はガランと空いた席に一人座っていた。少し斜め向かいに男性の乗客がいたのに、視線にそれを捉えながら認識していなかった。
 疲れていたのかもしれない。
 仕事が忙しいこともある。それと、先月は近い身内に不幸があった(その人は独身であった)。夏は暑く、夜は寝苦しい。睡眠が足りないこともあるだろう。多分、世界のなにかと私の中の全てが、どうにか少しずれて合わさり、それが歪みとなって涙に代わったのかもしれない。その全て、このままではいけないのではないかと不安がもくもくと渦を巻く。
 不意に顔をあげると、清潔なハンカチが目の前にあった。

「大丈夫ですか」
「あ、すみません。大丈夫です、ごめんなさい」

 感謝よりも先に謝罪が出るのはもうなんか悲しい。
 ハンカチは、タオルではなく、綺麗な淡いブルーのチェックに小さくひとつ、ヒマワリが刺繍されているものだった。

「私のお気に入りのハンカチです。ぜひ、使ってください」
「でも、そんな」

 私が躊躇していると、彼は「失礼」と言ってその手を伸ばし、私の涙を拭いてくれた。涙が滲んだ部分だけ、濃いブルーになる。

「なにかありましたか。もしよければ話してください」
「いえ、なにかがあったわけではなくて」
「じゃあ、なにもないということを話してもらえれば」

 彼はそういって静かに笑った。隣に座ってもよいかというので、私は了承した。丁度、次の駅に到着するタイミングであり、電車が揺れる。そのせいで、恐らく彼が思っていたよりも少し近い距離でとなりに座った。

 図らずも、彼の腕が私の腕に触れて、私は人肌の温かさを感じてしまった。

 やっぱり涙が少し出て、 彼はまたハンカチでそれを拭いてくれた。

 ハンカチの濃いブルーがじわじわと増えて、私はそれがきれいだと思えて、大丈夫な気がした。


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