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0624_幸福な薄情

 じっとりと全身が汗ばんでいる。例えば額や首筋、脇や背中だけでなく、足の甲など普段はかかないようなところもじんわりと汗が滲んでいるのだった。梅雨に入って数日である。まだこれが続くのかと佐竹はげんなりしていた。
 電車を降り、外に出ても蒸した空気に接すると、やっぱりどんよりと気持ちが落ちる。この気持ちのまま、佐竹は5年付き合った彼女に別れを告げに行く。
 同じ会社の同僚である2人は5年前に出会い、出会って間もなく付き合い始めた。最初に好意を伝えたのは佐竹だっただろうか、受け入れてくれたその時の、彼女の切れ長の目が印象的だった。
 しばらく、上手くいっていた。どちらも淡白な性格であることから、ベタベタドロドロとしたエピソードはなく、会いたい時に会う程度、と言うようにあっさりとした付き合いである。佐竹はそれで満足していた。
 けれど、彼女はそうではなかったのだと、付き合って5年目の記念日を迎えた昨日、そう告げられた。

「私はもっと、まんがのような恋人同士でありたい。それは結婚してからでもそうしたい」

 彼女がもっと甘ったるい付き合いを望んでいること、その上で結婚を視野に入れていること、その全てが伝えられ、やっと認識した。そうだったのか!!と、何かが頭上から足先まで突き抜けるほどの衝撃だった。

 その衝撃で、佐竹の中の何かがポッキリと折れた。

 おそらく、佐竹は特別に彼女を愛していたわけではない。単に佐竹の欠けていたどこかの部分が彼女によってピタリとハマった、それだけのことだろう。
 ポッキリと折れた何かは、とても爽やかで心地良い断面を見せた。それで、佐竹は別れることを決めたのだった。

 彼女の家までは、最寄り駅から5分も歩いたところである。月に1度は彼女の家に泊まりに来ていたので、慣れ親しんだ道と言っても良いだろう。

 ここに来ることは最後にしようとしているが、特に何も思うところはないのである。自分はこんなにも薄情だったのかと少しだけ、悲しくなった。そして、自分の薄情さには悲しくなるのだなぁといやに冷静に思うのだった。

 彼女との思い出も、きっと思い返すこともなく静かに、とても自然に消えていくのだろうなとぼんやりと思った。

 なかなか涼しくならない夕方に、背中の濁った汗は流れ続けている。梅雨だなぁと思って眉間に皺を寄せた。そしてその数秒後にスキップをしている。梅雨だろうが何だろうが、あと少しで自由になるのだ。

 薄情で自分本意な自分をこんなに愛しく思ったことはない。


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