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0718_外に出て、上を見よ

 私の『外』と言うと、通常は通勤時の家から最寄りの駅までを指す。最寄り駅から会社のある駅までは、乗り換えがあっても屋内で繋がっていて『外』には出ない。そして会社のある駅も地下の改札を出てから会社までは地下の通りを進めばあるので、やっぱり『外』に出ない。
 だから、私の外は家から駅までである。朝は子供の保育園に寄ってから駅に向かうので、毎朝のことながらバタバタと時間の余裕はない。もうちょっと早く起きればと思って早く起きたところで、バタバタする時間が増えるだけで余裕のなさは変わらない。その状態で保育園に寄って駅に向かうわけで、つまりは『外』を感じる時がない。

 天気がいいなぁ、空が高いなぁ、雲の白がきれいだなぁ、風がふわふわだなぁ、草木の匂いがするなぁ、あぁ、夏だなぁ。あ、まだ梅雨か。
 これら全部、なかなかじっくり感じることが出来ないでいる。

 電車の乗り換え時や会社までの地下道では、この週末にやらなくてはならないことや、保育園の役員仕事、習い事、家事のあれこれを俯きながらずっと考えている。外や空を感じることはない。地面を見つめているだけだ。

 私は、時々、意識的に上を向くようにしている。それは私が息をするためだと思っている。外の空気を吸う感覚で上を向く。地面は平坦で、もうその視線の先にはなにもないと思わせる。外は広大である。視線の先は無限に広がる。例えばビルがそびえ立っていてもそのビルを目で追えば今度は空が広がる。

 そうして、私は空を見て時々涙したりする。地面は近く、空は遠いと涙する。空は、本当に空だったり、空は見えずにただの建物の天井であったりするのだが、私にはその遥か上に空があると分かっているので涙する。

 一本早い帰宅の電車に乗れた。
 保育園に向かうその前に5分だけ空を望む。涙する。

 首が痛くて、涙した。


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