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0201_蝋梅

「一緒に来てくれないか」
 大学2年も終わる2月の最初の日、当時付き合っていた2つ年上の、泣くと鼻が赤くなる彼が私に言ったのは近所の公園だった。
 夕方の曇り空の下、私と彼はベンチに座っていた。もう夕方で暗かったから、辺りには子供も親も姿はなく、私たちだけがそこにいた。2月だと言うのに、それほど寒くなく、公園の隅、ベンチのとなりの木には黄色なのか白なのか可愛い花が咲いていた。
 彼はすでにこの地元に本社がある企業での就職が決まっていたはずだった。まさかもう配属が決まって遠方になったのかと驚いたが、よくよく聞くとそうではないらしい。
「どうしてもやりたいことが諦めきれなくて探していたら、東京の1社が採用してくれて、予定していた就職先は辞退したんだ。だから、君にも一緒に・・・・・・」
「無理」
 私は彼の目を見てきちんとお断りをした。
 別に地元の就職先を蹴ってやりたいことを優先したから無理な訳ではない。私はだって、大学2年生なのだ。
「いや、うん、分かってた。むしろこんなこと聞いてごめん。僕は、その、別れたくないんだけど」
 生暖かい風が吹いて鼻先に触れた。甘い、きれいな香りがする。
「いい匂いだね」
 彼も香ったようで、私に言った。寒くもないのに彼の鼻の頭がほの赤く、なんだか可愛らしい。
「じゃあ、卒業したら私も東京出るね」
 私はそう言って彼のくしゃりと歪ませた顔と、甘くて優しい香りを覚える。私の足元を外灯の光が照らし、リ・リ・リ・リ、と虫の鳴き声がして、私も少し鼻を赤くした。

 同じ顔で彼が今、隣で笑って泣いている。もう10年も経ったのに同じ顔で鼻を赤くして泣いている。
「可愛い、可愛いねぇ」
 私の胸に抱かれた温く柔らかい赤ちゃんに触れながら彼は言う。私と彼の生まれて間もない赤ちゃん。やっと今日、我が家に迎えることができた。彼の顔を見ているとぼんやりとしていた意識も冴えてきて、無性に彼と赤ちゃんを抱き締めたくなる。手を伸ばしたとき、ぶわぁっとそれが香った。換気のために開けていた台所の小窓から香るのは10年前のあのときの公園の花。
「蝋梅、今年もちゃんと咲いたよ」
 彼は笑い、鼻を赤らめた。
 私もまた、あの日と同じように、鼻を赤くする。
 慈しみとはこういうものかと、私は花言葉を思い出していた。

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