0515_私のタスカンレッド
タスカンレッドを貸してくれと言われたのは生まれて初めてだった。
14歳の私は、48色の色鉛筆を持っていた。学校で使う色鉛筆なんて12色で十分なのに48色も揃っているのは、少し前に母が『大人のぬりえ』にハマっていたからで、私の趣味ではなく、つまり、私はこの48色の中にタスカンレッドがあるなんて知らなかった。
「す、好きな色使っていいよ」
私は少しだけ上擦った声で返して、ついでに表情もひきつっていただろう。恐らくは震えた手で彼にそれを差し出した。全部全部、覚えている。それでも、彼に話しかけられた嬉しさとなんとか絞り出した返事とでそのときの私は妙に満足していたのだった。
私の密やかで丁寧な初恋である。
美術の時間、バスケットに盛られたフルーツを描く授業だった。変わった先生で、鉛筆でも色鉛筆でも絵の具やクロッキーでも、書くものはなんだっていいよと言う。私は、絵の具やクロッキーよりは使い慣れていて、かつ色が豊富な色鉛筆で描くことにした。なにしろ無駄に自慢の色鉛筆を持っていたし。
私はライトオレンジで蜜柑を描き、ウィローグリーンでマスカットを塗った。彼が、私のタスカンレッドでいったい何を描くのか、塗るのか、聞くのも見るのも気恥ずかしく、ただ想像していた。彼の、細くやや厚めな指先や、色鉛筆を走らせる度に動く隆起した肩、フルーツバスケットに向く全身や、真剣に見つめる視線とその熱、その全てを私の中で本物のように妄想して、それで十分だった。そうして、ちらちらと彼の動きを見ながら、私は筆を進める。
「ありがとう」
授業が終わる少し前、彼が私にタスカンレッドを返してくれた。元々の長さを覚えていない(そもそも気にもしていない)ので、彼がそれをどのくらい紙の上で走らせ、どのくらい染めたのか分からなかった。私はどういたしましてと、これもまたなんとか笑って言った。
それだけ。
それだけだと思うとどうにも切なく、少しでも話せたらと思い、一瞬で悩んだ結果、私は彼に聞いた。
「私のタスカンレッドはどうだった?」
彼は驚いた顔で一瞬固まって見せると、すぐに笑った。
その時と変わらない笑い顔で隣の貴方が言う。
「最高のタスカンレッドだったよ」
結婚して、毎年記念日には1色ずつの色鉛筆を贈り合い、今日で48色が揃った。私も貴方も最後の一色に『タスカンレッド』を渡してコンプリートする。
私たちの48色。
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