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0810_枕の勝利

 枕に染みができた。光沢のあるグレーの枕カバーには水たまりのような、けれどその輪郭に少し棘のある滲んだ丸い染みがある。

 私の怒りであった。

「ごめんな」

 こういうとき、謝る側がどれほど有利なのだろうと思う。彼らは色んな事を自分の中で(必要によっては他人の協力も得て)、全てを整理できた段階で伝えてきていることだろう。一方の謝られた方は、何の考えも防御もなく戦場に立たされるような気分にさせられる。そもそも謝られるようなことをされているのに、その上、急な告白という石まで投げられるなんて、もう、ひどい。

 彼は私を特別に好きではなくなったという。

「いつから」
「ここ半年くらい、だと思う」
「きっかけはあった?」
「いや、ないと思う。ごめん、はっきりしなくて」

 今のこのわずかな時間で大ダメージを受けたと言うのに、半年前から好きではなくなったとは、その半年分のダメージもここで加わる。石というか岩を投げられる。私はすでに随分とボロボロである。
 チラと、彼の顔を見た。
 どちらかというと清々しい顔である。
 時々、苦虫を潰したような振りをする、うーんと、何かを悩んでみせたりもする。それでいて清々しく爽やかなのである。

 私がいたたまれないではないか。
 こういうことはひとまず打診してほしい。
 今いい?から始まって、でもその最初の一度で全てを、詳らかにするのではない。遠回しに前兆を出していき、じわじわ、じくじくと私に知らしめてほしい。私は長い時間(少なくとも1ヶ月はあるといい)をかけて、あれ?とか、もしかして?とか、少しずつ何かに気づいていく。そうして来たるべきその日に向けてコンディションを整えていくから、どうか突然はやめてくれ。

「ごめん、別れてください」
「分かった」

 何をどう考えて願っても、その時は突然来るのだから、何もしようがない。何の手立ても準備も覚悟も整理もなく目が覚めるような石やら岩やらを投げられてもなお、ただ相手を見据えて、同じだけの整理ができているのだと思わせられれば、私は上等だと思える。

 彼は心底ホッとした顔をしていた。
 私は涙が出るのを必死に止めている。そのせいできっとかわいい顔ではないだろう。

 でも、分かったと、冷静に言えた。
 私はそれで上等である。

 謝られる側は随分と不利ではあるが、勝ってはいると思う。

 帰って一人で枕を濡らすくらいの大勝利である。

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