0503_初夏に泣く
私は、男の人がこんな風に綺麗に涙を流しているのを見たことがなかった。
彼のその体躯の割に小さく幼い顔立ちのせいなのか、それともこの春を終えたばかりの季節柄、暖かさと暑さの中間の風が私の頬を撫でるからなのか、晴れた日の美しい夕日が彼を照らしているからなのか。その人は、とても清潔で綺麗に見えた。
あまり流行らない町の通り、カフェのテラス席で一人、彼は姿勢正しく座ったままで泣いていた。
そこが、あまり人の通らないところで良かった。知ってか知らずか、テラス席にしたのはその理由だろうか。誰にも気づかれないわけではないが、店内よりも人はいない。
「お待たせしました、カフェラテです」
私はそっと彼の前にカップを差し出す。ふわっと、ミルクの甘さが混じったコーヒーの香ばしさが香る。彼の香りではないのに、私は思わずその空気を吸い込んだ。同じような香りなら、毎日いくらでも嗅いでいるのに、今、この場では初めて香る気がした。
「ありがとうございます」
涙を拭うこともせず、頬に一筋の涙あとを残したまま、両目を潤ませて彼は私を見て言った。
その瞬間、私は堪らなくなる。胸の奥がきゅう、と言うよりは全身がぎゅっと何かに絞られるように縮こまり、このまま隠れてしまいたいような、ずっと私を見ていてほしいような、得も知れぬ愛情のようなものが沸き上がった。込み上げるそれを抑える術がなく、思うままに、私は口にした。
「私に、何かできることはありますか」
不意に出た言葉にしては常識的であったが、その挙動は明らかにおかしかったことだろう。両拳に力を込めてピン、と地面に向けて腕をつっぱり、私はきゅっと唇を結んでいた。
彼は、表情を変えずにそのまま私を見て、私と目を合わせて、逸らし、また目を合わせて少しだけ、微笑んでくれた(気がする)。
「私は男性に見えますか」
「はい、男性に見えます。私は、男性の涙がこんなに美しいものだとは知りませんでした」
私が言い、彼はどこか安心したようにしてようやっと涙をぬぐった。
「今日、私は男性になりました。長年思い悩んで、それが今日やっと結実し、感極まって涙をしていたのです」
彼はそう言うと、少しずつ冷めていくカフェラテを口に運び、大きく息を吐く。
「あなたが声をかけてくれて良かった。新しい自分になっても受け入れられる気がして、とても安心しました」
彼はお礼を言い、小さく頭を下げてくれた。
私はなにもしていないのに。そう思って曖昧に微笑んで見せるしかなかった。でも、と思い直してみる。
「男性でも女性でも、私があなたの涙する姿に惹かれたのは事実です。それはきっとこれまでのあなたや今日、今、新しくなったご自身の美しさそのままなのだと思います。どうか、全てに自信をもって過ごされるよう願っています」
私はそう言って、彼に背を向けた。
声をかけて良かった。
そこには、人として美しい人がいた。
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