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0531_同じラインで

「あ、写真の人だ!」

 職場のトイレの入口で、すれ違いざまに呼び止められた。『写真の人』で私だと認識出来る理由もそのつもりもなかったが、周りには私と彼女の他に誰もおらず、私がそうであると認識するのが自然であった。

「はい、写真の人ですが」

 わざわざそう返し、出入り口を塞ぐのもなんだなぁと思って、私は彼女を促しトイレの手洗場に、引き戻した。彼女は社内でも仕事ができるで有名な中堅社員の笠村さん。

「あ、ごめんなさい」

 写真の人、と言う物言いが失礼だと思ったのか、トイレで急に呼び止めたのがいけないと思ったのか、謝られた。けれど決して深刻な表情ではなく、あっけらかんと、ほんの少しだけ恥ずかしそうに小首を傾げていた。ああ、となんとなくと、何かを納得した。

「写真?」
「あ、そうそう。昨日かな、サークル活動の写真を掲示板で募集していたでしょう?」

 うーん、と思い返すとほんのり思い当たる節がある。掲示を出したのは私の上司の山村さんである。同じチームだからまぁ、いいのだけれど、恐らく山村さんと間違えて声をかけたのだろう。

「ああ、そうです、そうです。それで写真ですね」
「はい、急にごめんなさいね、提出しようと思っていたところにすれ違ったから、つい」

 彼女はまた、照れるようにしてから、ふふふと小さく含むように笑った。
 単純に可愛らしいものだ。仕事の実力もさることながら、彼女の人気が高いのはこんなふうに柔らかく接してくれるからだろう。

「写真、嬉しいです。急ぎませんので是非応募してください、笠村さん」

 私がそう言うと、笠村さんはにっこりと満面の笑みでありがとうと言った。

「別イベントも来月ありますね、またよろしくお願いしますね、吉川さん」

 またも、ふふふ、と笑って今度こそ本当にトイレを背にした。

「あ、私の名前、ご存知でしたか」

 少し驚いて彼女に言うと、それこそ不思議そうな顔をしていた。

「吉川さんだって、私の名前知っていたじゃないですか」

 おかしな人、と、言われてはいないがそんな風な調子で柔らかに笑われた。小さく会釈をした私から去っていく。ふっと、綺麗な香りがした。

 上司と間違われたわけではないらしい。私は私で認識されていたようだ。そして、彼女が私を知っていることと、私が彼女を知っていることが、同じラインにあるのだと思い、なんだかちょっと嬉しくなった。仕事の出来や優秀さでは比にもならないかもしれないけれど、そんなに私、卑下しなくても良いのかも。
 そんなことを、金曜日の夕方に思って、今日はもう帰る。

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18時からの純文学
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★著者:あにぃ




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