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0330_本日は晴天なり

 春のきれいな晴天である。
 見る景色、すべてがキラキラと輝くように照っていて、気持ちが自然と弾むようだ。歩く速度は少しずつ速まり、口許はじわじわと緩む。小さく鼻唄を歌い、やがて小声で歌いはじめてしまった。

 別になにも歌うような出来事は起きていない。
 週明けの溜まっている仕事を思うと、うんざりと眉間にゴルゴ13のようなシワができるほど頭のなかは重たいくらいだ。

 でも、私は歌っていて、笑ってもいるから不思議だ。
 思い返すと、私の母もそうだった。

「ねえ、なにがそんなに楽しいの?」

 小学生のころ、買い物に出掛けた時に私は母に聞いた。握られた手も浮かれているようで、時々ぎゅっぎゅっとリズミカルに緩急つけて握ったりする。

「なにもないわよ。お天気がいいからかしらね」

 かしらね、と言ってすぐに鼻唄を歌い出す。私はその母の楽しそうな横顔やその時の歌や音が妙に面白く、つられて笑ってしまった。

 そのすぐあとに両親は離婚し、母は盛大に泣いていた。

 時期的に、鼻唄を歌っていたあの日、既に話し合っていたはずであり、笑ったり、歌ったりしている場合ではなかったと思う。でも、あの時の母はそんな全てをないことのように、知らないことのようにして、とても幸福そうに笑っていた。

 母が変わっていたのか、晴天のパワーなのか。

 私はあのときの大きく笑って楽しそうな母が大好きだった。
 それが無意識に刷り込まれているのか、私はこんな風によく晴れた日にはだんだんと嬉しく、楽しくなって心が踊る。

 例え休んでいた間の仕事がたまっていても。
 例え長年付き合った彼氏に振られたとしても。
 例えそれが先週迎えた35歳の誕生日だったとしても。

 そして、母が亡くなったとしても。

 母が亡くなったのがこんな風に晴天で良かった。
 きっといろんなことを忘れて、いろんなことを思い出して、彼女は笑って逝ったに違いない。

 空は大きく晴れている。
 見るものすべてがキラキラと輝いている。
 私は目元をぬぐい、小さく鼻唄を歌う。あのときの母を想って。


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