0303_散歩に行かない
空は晴れていて、私の気分は悪くなかった。
冬の空はカラリしていてもともと好きだが、そこに春の日差しが混ざり合うような今日の空はすこぶる気持ちが良い。まるでこれが正解のように思えるから嬉しくなる。
「散歩に行かない?」
私は隣でテレビを見ていた夫に声を掛けた。もう昼だというのに夫は未だパジャマを着ていて部屋着にさえ着替えていない。彼をもう少し活動的にさせたいと思ったことも嘘ではなかった。きっと私の提案はやんわりと断られるだろうと思う。
「いいよ、行こうか」
意外な答えが来たので私は少し驚いた。偶然だが夫も窓の方に視線を向けて、細く差し込む日差しを受けていた。
「気持ちいいよね」
「そうね、春だねぇ」
部屋着の私と、パジャマの夫で二人、窓の奥を見ている。ぽかぽか、と言うよりは、ふよふよ、と言うような柔らかい暖かさが私と夫の間くらいに差し込んでいる。その日差しをどちらからでもなく、手を伸ばして私の右手が、彼の左手が受け取る。分け合うようにして手を握り合った。彼の手はふっくらと柔らかく、大きくて熱い。私の手はカサカサで骨ばっていてきっと快適ではないだろうと、申し訳なく思いながら彼の顔を見ると、彼はとても健やかな顔をして眠っていた。
「ねぇ」
私が呼びかけても何も動かない。私が手に力を入れて握ってみても、すよすよと優しい呼吸を繰り返すばかりだった。仕方がないので私も彼のように、ソファに頭を預けて窓の方を向き、日差しの明るさに目を細めるようにして閉じた。
「穏やかでいいねぇ。こんな風にいることが一番の幸せなのかもしれないねぇ」
私は眠気とじゃれあうようにつぶやいていた。まどろむこの時間も愛しい。
私は、子供が欲しかったけれど、いなくて。
親孝行をしたかったけれど、できなくて。
ケーキ屋さんになりたかったけれど、ならないで。
一人で生きられるように強くなりたかったけれど、なれなくて。
散歩に行きたかったけれど、行かなかった。
ああ、でも幸せだなと思って、部屋着の私とパジャマの夫で二人、昼寝をした。
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