見出し画像

0604_繰り返す

 霞んだ晴れの日である。
 夕方ともなると、目がしょぼしょぼとして両手の拳を握ってゴシゴシかいてしまう。『目がしょぼしょぼ』なんて20代の頃はなかったし、しょぼしょぼってどんな感じなのかもわからなかった。40代も半ばになると、これは確かにしょぼしょぼだなぁと思う。手でゴシゴシと掻いてしまうのはアイメイクをほとんどしていないからできることだし、これはまぁ、私が怠惰なだけかもしれないけれど、いずれにしても20代のそれとは違うのだと分かる。
 自宅最寄り駅の改札を出て、少し端に寄る。同じ人間なのに、どこで何がどう変わったのだろうかと空をぼんやり見上げては不思議に思う。不思議に思いながら、カバンの中の小さなお饅頭を取り出して口に入れた。そう言えば、お饅頭も昔は全然好きではなかった。今では自分で買ったりするからまた不思議。

 私としては、昨日の続きを毎日繰り返しているだけである。起きて、生きて、寝てまた起きて。ある日突然背が伸びて、とか、突然シワができて、とか、疲れやすくなったのは今日からである、とか。そんなことではないのだ。

 日々の繰り返しが今日になっている。

 一昨日と昨日を繰り返して重ねたことで、今日の私になっていたり、今日と明日と明後日とその次の日を繰り返すことで、そのまた次の日の私が出来上がる。

 だから多分、どの1日の私が欠けても今日の私にはならない。どこかのあの1日をああしておけば、今日の私にはならない。そして、過去には戻れないから直すことは出来ない。直すことは出来ないから、悔やんだらそれを挽回することもできないのだ。

 だから多分、今日の私を大事に抱きしめてあげれば、それが正解なのではないか。繰り返してきた日々も、もしかしたらうっかり間違ってしまったどこかの過去も、きょうの私を大事に抱きしめてあげれば、浄化するのではないか。そして、今日、自分を大事に抱きしめてあげれば、明日も大事に思える気がする。今日と、明日、自分のことを大事にできれば、明後日も大事にできるだろう。

 毎日、自分を大事に抱きしめてあげられる日々を繰り返したなら、私の将来は安定なのではないか。

 そんなことを、まだまだ暗くはなりそうにない空を見上げて思っている。
 残り一口のお饅頭を口に入れ、私は家路を行く。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
18時からの純文学
★毎日18時に1000文字程度(2分程度で読了)の掌編純文学(もどき)をアップします。
★著者:あにぃ

この記事が参加している募集

#日々の大切な習慣

with ライオン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?