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0625_じんざいはけん

 深夜0時を回っていた。
 辻井は玄関のドアを開け、自宅に一歩踏み入れたことで自然と安堵した。玄関脇の荷物置きにカバンを置き、定位置に靴を脱ぐ。廊下を歩いてすぐの洗面所で2分かけて丁寧に手を洗う。
 部屋着に着替え、冷蔵庫から水を出してグラスに注ぐ。多めの一杯を注ぎ、一息で飲み干した。
 冷たい水が押し寄せる波のように体の中を勢いよく通り抜けた。食道から胃にかけて、水が通るその道中全ての器官を叩き起こすようにして体内がうねる。
 辻井の目は冴えていた。
 そのまま、ベッドに倒れ込み、布団をかけて目をつむる。
 それでも、辻井の目は冴えていた。
 眠れるはずもない。

 上司の滝沢が声をかけてきたのは今日の昼を回る頃だった。業後に一緒に来てほしいと言われ、仕事を定時に終えると、滝沢に言われるまま、彼の後ろをついて行った。会社の裏手、古そうな雑居ビルの2階、電気もなく暗く湿った部屋に着く。

 そこに、そいつがいた。

 手足に錠がつけられており、下着姿のそいつはピクリとも動いていなかった。

 おそらく、人間である。

「君もこういう仕事をするようになったんだよ、随分と成長したね」

 ガサガサと背面の棚をなにやら探しながら、滝沢が辻井に話す。辻井はそんなことに耳を傾けられず目の前のそいつから目が離せない。少しして、滝沢が風呂敷包を取り出した。埃を払うようにしてパンパンと数回それを叩いた。

「うっ」

 その音に、そいつが起きる。

「辻井くん、この服を彼に着せてくれ」
「ぐぅぅぬぅぅん」

 唸り声とも取れない低くて暗いくぐもった声が響いた。構うことなく滝沢はそれを辻井によこした。受け取り、わずかに震える指先で風呂敷を開くとそこには一組のスーツがある。

「え、これ、スーツ」

 辻井がようやく混乱を見せて発すると、滝沢はとてつもなく優しそうな笑顔を作る。

「そうだよ、彼はこれから初出社だ」
「え、だって、なんでこんな」

 疑問と謎しか浮かばず、辻井はその場に立ち尽くしたまま小さな声でブツブツと口にする。この間も、そいつは低くて太い短い音を発する。

「これは誰で、一体何を」

 辻井が絞り出すと、滝沢はまたニコリと笑った。

「やだなぁ、我々の会社は人材派遣でしょう。だから、人材を派遣するまでだよ」

 辻井は、今月初めの昇格時に滝沢から言われたことを思い出していた。辻井くんも管理職になったのだから、今までとは違う唯一無二の仕事をしようと強く肩を叩かれたこと。

「さ、準備してよろしくね」

 気づけば玄関にいた。
 それまでの記憶は朧げで現実味がない。
 勢いよく飲み干したただの水が胃の中で暴れ、どうしたって眠れそうにない。

 私は、唯一無二の人材派遣会社で勤めている。これは誇らしいことである。

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