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0101_今今年(いまことし)

「あ」
 ふいに、口から出てくる言葉を失った。前を行く飯田は私を、後ろを振り返らない。過ぎたものは過ぎていて、前にはこれからしかないのだと、そういえば彼女は言っていた。よく分からないと眉をひそめた私に彼女はその時に笑ったのだった。その彼女は、振り返らない。例えば私が、ここで手を伸ばし、飯田のその赤いチェックシャツをグイと掴み、先を行く足を止めたとして。そうして私は果たして何を言おうとしていたのかと彼女に聞いてみたところで、飯田は私を振り返らない。だからやっぱり私は何を口にしたら良いのかわからないままになるだろう。
 それでもいいのかもしれないと、私は思いながら息を吐く。白く、なにかこもったような吐息が私の視界をぼかし、私が口を開いたのは『あ』だったのか『わ』だったのか、それさえも見失う。
 とりあえず、言いたいことでもいってみようかと、私は足を速めた。口からは白く細い息ともう喉元まででかかっている私の言葉が早歩きで揺れる。揺れて、漏れそうになる。あ、あ、あ、あさ、あい、あのね、あした、あれって、あのひ、あいしてる、あいたい、あ、あ、あ。
「飯田!」
 私はいつのまにか飯田を追い越し、歩く飯田の足を止めた。心臓がダクダクと脈をうっているのか血が流れているのか分からないけど、鼓動が妙に速くて苦しい。はっ、はっ、はっ、と息を整えて、ひとつ吸い、口を開けた。
「あけましておめでとう、飯田」
 言って、私はちょっと驚いた。私はこれが言いたかったのか。
「今さらかよ、依田ちゃん」
 飯田は私に近寄って、ニィと笑った。
「今年もおめでとう」
 明けましてでも、よろしくでもなく、今年もおめでとう。今年も新しい私が生まれたよ、みたいなものか。で、来年もまた生まれて、その次も、そのまた次も生まれていくのだろうか、新しい私たち。
 めでたいな。想像すると愛しいな。
「うん。今年も愛してる」
 あれ、何か違うか。私が言うと、飯田は笑った。
 追い抜いたはずの赤いチェックのシャツは気づけば私の前にいて、私の手を引いていた。同じラインに私たちは並び、過ぎるも未来もない。横にならんで、飯田が嬉しそうに笑う。
「うん、今年もまた愛してる」
 年の始めがこれって幸先良い過ぎるだろう。
 今年も、生まれましておめでとうございます。

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★著者:あにぃ
★20240101

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