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敬老の日は永遠に

よく前を通る花屋さんが「敬老の日フェア」をしていた。もうすぐ敬老の日がやってくることに、この時初めて気づいた。

そしてさらに、あー今年から私は敬老する人が身近にいないんだな、と気づいた。花屋さんにはカラフルな花たちが並んでいたのに、私の視界はなんだか薄暗くて彩度が低くなったような、そんな気がした。

両親の両親、つまり私から見て祖父、祖母たちは、今は私たちの世界からはとっても遠いところにいる。
以前は敬老の日が近づくと、小さい頃は姉弟で手紙を書いたり、大きくなってからは電話をしたり。「いつもありがとう」「いつまでも長生きしてね」って改めて文字にしたり口に出したりするのは、なんだかこそばゆかったのを覚えている。

そんなやりとりが毎年変わらずずっと続くのだと思っていた。当たり前のように敬老の日が来て、みんなでお祝いして、そしてまた来年がやってくる。

でも、祝う人がいなくなると、敬老の日というのが自分の中で幻になったというか、カレンダー上にはあるけれど、それはただ文字情報としてあるだけで、実態のないものみたいな。
もちろん、何も身内だけを「敬老する人」と捉える必要はなくて、敬老の日というものは今を生きるすべての大先輩たちへ敬意を示す日であることは百も承知である。
でも、やっぱり私の中で最も身近な人生の大先輩は自分の祖父母であったから、その対象がいない、という事実は如何ともし難い感情にさせられる。

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そんなことを思った次の日。母から届け物があった。
中には、私の好きなスヌーピーのフェイスタオルと母からの手紙。

『(祖父母の)家を片付けていると、たくさんの宝物が出てきます。孫たちの小さい頃の写真や手紙もたくさん出てきました。』

送られてきたフェイスタオルも、家を整理している時に出てきたらしい。

宝物、という言葉に私はなんだか目の奥から熱いものが滲んできそうになった。そこには、目には見えなし手にも取れないけれど、祖父母と過ごした、という事実、私だけが持っている大切な何かが確かに存在した。

親戚全員でワイワイしながら囲んだ食卓も、夏になると一緒に天井に蚊帳を吊るしたことも、小さい頃、夜中に目が覚めてお腹が空いたという私のために、必ず枕元に用意してくれていたおにぎりの味も、畑仕事から帰ってきた祖父にお茶と和菓子を用意していた祖母が並んで座っていた二人の後ろ姿も。

敬老する存在がいなくなっても、いつでも脳裏には祖父母の姿があった。それで十分だ、と思った。

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毎年お盆になると、祖父母の家には必ず蛍が1匹家の中にやってきた。本当に毎年、なのだ。
「きっとあれはひいおばあちゃんだよ」
と祖母は言っていた。

祖母とお別れをしたその年のお盆。家には蛍が2匹やってきた。
「おばあちゃん、おかえり。帰ってこれたね。」
きっと、ひいおばあちゃんが連れてきてくれたのだろう。

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次に敬老の日をお祝いするとしたら、自分の両親がもっと歳を重ねた時なんだろう、と思った。(今から敬老の日おめでとう、なんて言ったら怒られそうだから)

でもやっぱり、私はいつまでも祖父母に、「いつもありがとう」と毎年伝えていきたいなと思うのです。


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