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弘前ねぷたとNorikoさん

 Youtubeで長岡の花火大会を見た日、夕食が済んだら一旦画面を閉じて、歯を磨いたり食器を洗ったりした。
 それから流し掃除をするのだが、少し足を休めるために座って、またYouTubeを開いた。
 花火大会がまだ続いていたので見始めたが、右側のオススメに弘前ねぷたのライブ配信が出てきているのに気が付いた。

 去年、青森ねぶたのライブを見て感動したので、花火大会はやめて弘前ねぷたに切り替えた。
 同じ日に別の場所で別の催しが開催されていたわけだが、時間も7時から9時と、同じ時間帯だった。
 終了までまだ30分ほどあったので見始めたが、そうだ、Norikoさんに教えてあげよう、と思いついた。
 Norikoさんは青森出身なので懐かしいだろう。

 電話を掛けるとすぐに出たので、スマホをデスクに置いても話せるように、電話の音声をスピーカーに切り替えた。

「Youtubeでねぶたを見ているのよ」
 そう言って、iPadにスマホを近付けた。
「何も聞こえない」
 とNorikoさんが言うので、iPadの音量をもっと上げた。
「少し聞こえる」
 スマホを近くに置いて、ねぶたの音を流しながらお喋りを始めた。

 何ヶ月か前にNorikoさんにもnoteの案内をしたのだが、彼女もYさんと同じでメールができなかった。
 Yさんの場合は昔はできたのに(だから私がO病院から家に帰って友人たちにメールで知らせたとき、返信して中井先生のことを教えてくれたのだ。あの頃はちゃんとメールが使えていた)、Norikoさんはパソコンは持っているがメールはしたことがなく、面倒だからする気もないと言っていた。
 電話は固定電話オンリーで、スマホも持っていない。

 それでも、私が首と脳に腫瘍ができて手術して取った話をざっとして、そのときの入院記録をnoteにアップしていると言ったら、それならぜひ読みたいということだった。
 自分ではメールの設定ができないと言うので、息子にやってもらいなさいと言ったのだが、何日経っても一向にメールが使えるようになったという連絡が来なかった。

 しびれを切らして電話すると、息子が自分の使っていないメールアドレスがあるから使っていいと言っていると言う。
 アドレスを教えてもらったら連絡するということで、後日そのアドレスを教えてくれた。
 Norikoさんには、リンクを送るから、メールが届いたら「届いたよ」という一筆だけでいいから返信してと言っておいた。

 息子と共同使用のメルアドにメールして、個人的なことを書き連ねるのは嫌だなと思ったが、取り敢えずnoteのリンクを送った。

 ところが、何日経っても、メールが届いたとも、読んだとも言ってこない。
 こっちも面倒になって、もういいやと放っておいたのだが、弘前ねぷたのことで電話をしたので聞いてみた。

 そうしたら、なんと、もうとっくに読んでいて、入院記録は4日掛けて全部読み、今はITの話の途中に来ていると言うのだった。
 チビの話は何度も戻って読み返しているし、読むたびに♡を押しているとか。(私もSafariでログインせずにやってみたが、何度押しても1回しかカウントされないことがわかった)

 Norikoさんも猫が好きで、昔はミーコという猫を飼っていた。
 私は何度も遊びに行ったが、ミーコは呼ぶとそばに寄ってくるので撫でてやった。
 Norikoさんは、ミーコはお客さんが来ると隠れてしまうのに、アンヌさんのそばには寄っていく。猫好きな人はわかるのだ、と言っていた。
 その後、マンションから一軒家に引っ越したが、ずっと猫を飼っていたそうだ。

 入院記録を読んだ感想やら、他の話題やらで1時間半ほどお喋りしてしまい、もう切るわねと言いながらずるずる話し続けて、電話を切ったときは10時過ぎていた。
 急いで流しの掃除をして、お風呂に入って、寝たのは1時近くになっていた。
 いつもは10時過ぎには床に就くのに。

 こういうことをすると生活のリズムが狂ってしまう。
 しかも、前の晩と2晩続けてそんなことをしている。
 前の晩は上の階のMさんが来て話し込んでしまった。

 Mさんのことは長くなるので別の機会に譲るとして、ねぶたの話に戻るが、弘前ねぷたは町内会ごとの出し物といった趣で、青森ねぶたと比べると地味でおとなしい。
 ねぷたは扇形で、分厚く切ったかまぼこのような表面に絵が描いてある。
 武者絵とは限らず、弁天様や、応挙の幽霊画のような女の絵もあるし、アニメのキャラクターらしい絵もあった。
 ねぷた自体がさほど大きくなく、台車に乗せて3人で引いていた。

 弘前は扇ねぷた、青森は人形ねぶたと呼ばれているらしい。
 もう1箇所、五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)というのもある。
 これは高さ20メートル、30メートルもの高いねぷたで、重さは16トンもあるそうだ。 

 掛け声は青森の「ラッセー、ラッセー、ラッセーラ」が有名だが、弘前では「ヤーヤードー」と言っている。
 ちなみに、五所川原は「ヤッテマーレ、ヤッテマーレ」と言っている。
 開催日が微妙にズレていたので、3箇所ともYouTubeでライブを見ていた。

 弘前ねぷたは青森ほど派手さはなく、運行もゆったりした感じがする。
 跳ね人(はねと)ではなく化け人(ばけと)が優雅に舞いながら、台車に乗った首だけの化け物に絡んだりしながら移動していった。
 これはこれで面白かった。

 Norikoさんによれば、青森は海辺の町なのでねぶたを船に乗せて海上を運行するが、弘前は海がないのでねぷたは川に流すのだそうだ。

 弘前ねぷたは「ねぶた」ではなく「ねぷた」なのに、私は「ねぶた」だと思っていて、ずっと「ねぶた」と言っていた。
 Norikoさんも「ねぶた」と言っていた。
 ところが、青森市出身の棟方志功は「ネプタ」と綴っている。

 棟方志功は青森出身で、彼の板画はねぶたの影響があると言われている。
 自伝「板極道」にはその辺りのことが本人によって書かれている。

「わたくしに絵を描けと教えてくれたのは、七夕祭の催しのネプタでありました」

 これに続くネプタ制作の描写は、どう読んでも弘前ねぷたのようだ。

 私は棟方志功が好きで、足が良かった頃は都内で開催される志功の展覧会にはほとんど行った。
 鎌倉の棟方板画館へも行った。
 ここは棟方志功のアトリエ跡を本人が公開したそうで、志功の板画が展示されていた。
 志功が亡くなった後、棟方板画美術館に改名されたそうだが、青森市の棟方志功記念館と合併することなって閉館した。


 その棟方志功記念館は、建物の老朽化とコロナの影響で入館者が減ったことによる財政難で、2024年3月31日に閉館したそうだ。
 私は行くことはできないが、志功の作品がいつでも見られる場所がなくなるのは残念でならない。

 鎌倉の棟方板画館へは1970年代の終わりか80年代初めに行ったが、Norikoさんは鎌倉に棟方板画館があるのは知らなかったそうだ。
 江ノ島からモノレールで行ったのは覚えている。

 Norikoさんに、またメールするからときどきチェックして、届いていたら読んで返信してと言ったら、返信の仕方がわからないと言う。
 息子に聞きなさいと言うと、今、新婚旅行でハワイに行っている、1週間しないと帰らないという返事。
 ハワイはこの時期暑いでしょうと言ったら、そこからカナダも夏は暑いという話になり、緯度が北海道と同じだの何だの、世界地図を開いて見ながらまたひとしきりお喋りが始まった。
 それで10時過ぎまで喋っていたというわけだ。

 この話、堂々巡りになるのでこの辺でやめておく。
 次回は青森ねぶたの話。乞うご期待。


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