初日の検査(脳腫瘍 1)
3月1日(火)、虎の門病院入院。
10時前に病院に着き、入院手続きをしに受付に行くと、既に大勢の患者が待っていた。
こんなにたくさんの人たちが同時に入院するのだろうか?
ちょっと驚いたが、虎の門病院は病棟が13階建てで、1,000人近くも患者を収容できる大病院なのだった。
私の病室は7階の南病棟で、ナースステーションから遠く、部屋に入ると目の前の大きなガラス窓を通して空が広がっていた。
正面に日本財団の白い建物、その向こうには山王パークタワーがそびえ、陰にはキャピトル東急ホテルが重なっている。窓のすぐ右側にはJTビル、左側には印刷局(造幣局)の屋根が見える。
明るくて見晴しのいい部屋だが、ビルの群れと、ほんのちらりと道路が見えるだけで木は1本もない。
暗くなれば夜景がきれいだが昼間はつまらない。周囲に緑が多かったら、さぞ眺めのいい部屋になっただろうに。
4つあるベッドの右側の2つはふさがっており、私は入って左手の窓際のベッドを与えられた。壁面すべてがガラスになっているのでとても明るい。
守衛室宛に送った荷物が届くのを待っていると、隣のベッドに私より若い、ほっそりした女性が入ってきた。少し寂しそうな感じのきれいな人。
Fさんといって、皮膚がんの抗がん剤治療のために入院してきた。
Fさんは私より15分ほど遅れて入院受付に着いたので、私の方が窓際のベッドになったらしい。
入院中Fさんはベッドの回りにカーテンを引いて、中で本を読んだり寝たりしていることが多かったから、私が窓際なのはラッキーだった。
入って右手のベッドにはこの日退院する人(名前を覚えていない)と、壁側にKさんがいた。
Kさんは肺がんで、四六時中苦しそうな咳をしていた。「エッホ、エッホ、エッホ」と胸の奥から絞り出すような咳で、ずっと前、私も喉の腫瘍を取った後遺症で嚥下障害になったときに、似たような咳をしていたものだった。
ここでも九段坂病院と同様、若手の先生が病棟担当医で、私の担当は30代前半(たぶん)と思われるY先生だった。
脳外科には同じ名前の先生がもう1人いて、私が「Y先生」の名前を出すたびに、看護師さんに「Y○○先生?」とフルネームで確認された。
看護師さんに呼ばれてナースステーションに行くと、Y先生が待っていて、簡単な診察の後、検査の予定を聞かされた。
初日はレントゲン、採血、血液凝固検査、心電図、CT。1日目から3日目までの間にMRI検査があるということだった。
先生の言葉どおり次々と検査に呼ばれ、その都度エレベーターで検査室のある階に下りては検査を受けた。
1つ検査が終わって部屋に戻り、疲れたからと横になる間もなくまた別の検査に呼ばれる。
特にきつかったのは心電図で、通常は寝て取るだけなのに、ここでは3段ぐらいの階段の上り下りを20回ばかりして、心臓に負荷をかけてからもう1度心電図を取られた。
私は脚が万全ではないから、階段の上り下りは普通の人以上に大変だ。
病院の中では歩行器を使うことにして杖を病室に置いてきたので、杖をつかずに階段を上り下りしなくてはならなかった。
部屋に戻るとぐったりして、少し眠りたいと思った。
ふだん家にいても朝から晩までずっと起きてはいられないほどの体力なのに、入院したら朝から夕方まであちこちの検査室に行かされたので消耗していた。
体も重く、頭も重く、カラーをつけていない首は棒が入っているように突っ張っていた。
ところが、ベッドに横になったのも束の間、今度はMRIに呼ばれた。
起きて歩いていきたくなかったが、MRIは寝ていられるからと思って、しぶしぶ検査室に下りていった。
なかなか来ないエレベーターを待ち、MRIの順番を待ち、やっと終わって部屋に戻ると夕食の時間になっていた。
夕食のメニューは、ポーク生姜焼き、サヤエンドウとパプリカのソテー、海藻サラダ、ナスの味噌汁、ご飯。
1〜2月の2カ月間は昼も夜もお弁当やお惣菜を買って食べていたので、いい加減飽きてきたところだった。
病院の食事は味が変わって新鮮に感じられ、疲れていたがぺろりと平らげた。
しかし、立続けの検査で休む間もなく体力を消耗したせいで、その晩は寝ている間も頭痛がしていた。
朝早く看護師さんが血圧を計りに来たが、ふだんは120以上行くことはないのに、上が160近くもあって驚いた。どおりで具合が悪いはずだ。
1日のうちにあんなにたくさん検査を入れるなんてひどすぎる。こっちは病人なのに、先生は自分が早くデータが欲しいから、患者の体調なんてお構いなしなのだ。
そう思うと腹が立って、翌朝、回診に来たY先生に文句を言った。
「だけどさぁ、早くデータを揃えて手術に備えた方がいいからさぁ」
Y先生は優しげな声で、のんびりした口調で言う。そんな猫撫で声で言われたって、私は疲れてひと晩中具合が悪かったんだから。
「それにしたって、血液検査に、CTに、レントゲンに、心電図に、MRI。1日にこんなにたくさんすることはないじゃありませんか」
「MRIは昨日って決めたわけじゃないよ。昨日から明日までの3日間のどこかで撮るって言ったでしょう? たまたま昨日撮ることになっただけで」
たまたま昨日になる可能性があったなら、他の検査をどれかはずして別の日に回してくれれば良かったのに。
心の中で文句をいい続けたが、済んでしまったことをいつまで言っても始まらないので口には出さなかった。
その代わり、しかめっ面で空を睨みつけていたので、Y先生には気難しい患者だと思われたかもしれない。
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