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足の問題(退院後 9)

 虎の門病院退院後しばらく杖をついて歩いていたが、夏には杖を外して歩けるようになった。
 ただ、足のしびれは相変わらずで、長時間歩くことはできなかった。
 休み休みなら2kmぐらいは歩けたが、休む時間が次第に長くなり、最初は10分歩いて2〜3分休めばまた歩けたのを、そのうち5分歩いて10分休む、5分歩いて20分休む、といった具合に、歩くより休む時間を長くとらなければ痛くて歩けなかった。

 2007年の暮れに会社勤めをするようになり、混んだ電車での通勤も大変だったが、最初は会社が都心とは逆方向にあったので、途中から座って行くことができた。
 1年ほど経って会社が都心に移転したので、勤務時間を30分遅くずらしてもらったが、2012年にまた、会社まで30分程度で行けるところに引っ越した。

 引っ越して半年経つか経たないかという頃、近くの公園で毎年恒例の催し物があり、江戸の民俗芸能の出し物があったので見に行った。
 当日は秋にしては暑い日で、虫の知らせか、なんとなく出掛けるのが億劫だった。
 でも、行かなければ翌年までチャンスがないと思い、自転車で出掛けた。

 家から公園までは自転車で5〜6分の距離だが、公園はとても広く、自転車置き場が家から遠い方の公園の端にあったので、そちらの入り口に行って、当日は規制線が引かれて誘導されていたので、公園に入ってからぐるっと少し戻って自転車を置いた。

 民俗芸能の会場に行こうとしたのだが、テント張りの店がたくさん並び、入り組んでいてわかりづらかった。
 園内を歩き回り、もらった地図を見ながら会場の方へ歩いて行こうとしたら、突然転んで両手をついてしまった。

 そこにはごく浅い横長の階段が広がっていて、私は階段を踏み外してしまったのだった。
 地図を見ている目の端には平坦で緩やかな勾配の斜面が映っていて、そこに階段があるとは思わなかった。

 右足に激しい痛みを感じて、私はその場に座り込んでしまった。
 少ししたら痛みが治まるだろうと、じっと階段に腰掛けていたが、一向に痛みは引かない。

 たかだか10センチ程度の段差だから、普通の足ならちょっとくじいた程度で、じっとしていればすぐに歩けるようになっただろう。

 私は首の腫瘍のせいで右脚の筋肉がげっそり落ち、手術後に脚の太さは戻ったものの筋力は戻り切らずにいた。
 足を踏み外したときに体重を支えられず、足首に負担がかかり過ぎた。
 ふと見ると、靴の上からでも右足が腫れ上がっているのがわかった。

 2、30分そこにじっと座っていたが、痛くても帰らないわけにいかない。
 立ち上がって、痛みをこらえて足を引きずりながら階段を降り、自転車置き場へと向かった。

 1歩踏み出すごとに激しい痛みに襲われ、その場に座り込んでしまいたくなりながら、迷路のような公園内の道を行きつ戻りつし、休み休みようやく自転車置き場にたどり着いた。
 それから自転車に乗って、右足はペダルの上に乗せているだけ、しびれて痛い左足で漕いで家まで帰った。

 家に帰って九段坂病院でもらっておいたカトレップで湿布したが、カトレップが残り少ないので、翌朝まで待って薬局にもっと湿布薬を買いに行かなくてはならないと思った。

 友人の明美さんに足を捻挫したことをメールで知らせると、すぐに返信が来て、救急車を呼んだ方がいいと書いてあった。
 母が生きていた頃は何度も救急車のお世話になったが、足を怪我したくらいで命に別状がないのに、救急車を呼ぶなんて思いも寄らなかった。

 けれども夜になっても腫れは引かないし、痛みも一向に治まらないので、朝まで待っても大して良くなりそうもないと思い、救急車を呼んだ。
 救急隊員の人たちが来て、1人がマンションの狭い階段を抱えて降ろしてくれた。まだ若い女性だったが、慣れているらしく、私が体重を掛けても大丈夫だった。

 病院は以前N先生に腕の腫瘍を取ってもらった所だったが、N先生はもう別の病院に異動になっていた。
 日曜日の夜で、夜勤だった整形外科のベテランの女医さんが診てくれたが、足首から下がサツマイモのように腫れ上がって赤紫色に変わった足をひと目見るなり、
「もっと早く来ればよかったのに」
 と言った。

 今思うと、公園で転んだときにすぐ救急車を呼べば良かった。
 あのとき痛いのを我慢して自転車置き場まで歩いたり、自転車を漕いで帰ったりしたので、取り返しがつかないことになってしまったのかもしれない。

 それからまるまる2ヶ月間は、右足はつま先でさえ下につくことができず、家の中ではパイプ椅子に右膝を乗せ、左足と足代わりのパイプ椅子とで部屋を行き来していた。(きっと階下の人はうるさかったと思う)

 このときも区のボランティアのヘルパーさんを頼んで買い物してもらったり、車椅子で病院に連れていってもらった。
 自分で料理できないからお弁当の宅配サービスを利用し、病院への行き帰りはケアタクシーを利用した。

 仕事は自分のiMacでSkypeを使ってテレワークしていた。
 フルタイムで働くととても疲れてしまうので、本当はお給料をカットしてでも時間数を減らしてもらいたかった。
 お給料をカットして欲しいと申し出たのだが、当時は今の何倍も忙しかったこともあり、会社の方では親切のつもりでそれはしないと言うので、無理してフルタイムで働いていた。

 足を下につけられるようになるまで、まる2か月と10日掛かった。
 寝たまま内出血している足を水平に上げていなくてはいけないのに、1日中椅子に座っていたので治りが遅かったような気がする。
 またしても外を歩くときは杖が必要になった。

 11月に九段坂病院の定期検査で予約していたのに行かれなかったので、年が明けて1月に受診し、中井先生に捻挫した足を見せた。
 色が赤紫色に変わっているのが変だとのことで、左右の足のレントゲンを撮りに行かされた。

 先生はレントゲン写真を見比べて、左右の足で骨密度が違うと言われた。(右足は骨粗鬆症)
 右足の色が変わっているのは腫れがあるせいだと思っていたのだが、実は、足の大きさも違っていた。
 自分でも、捻挫してから右足が左足より小さくなっているのに気がついていた。

 私のはただの捻挫ではなく、「反射性交感神経性萎縮」というもので、痛みで神経が萎縮してしまい、治りが遅いのはそのせいとのことだった。

 足を診てくれている先生は、救急車で運ばれたときの夜勤のベテラン医師ではなく、もっと若い先生だった。
 中井先生はなんでもよくご存知で、担当の先生に教えてあげなさいと、メモに英語で病名を書いてくださった。
 若い医師を教育しようという気持ちになるのだろう。

 今は左右の足の大きさはほとんど変わらないが、脚の太さは明らかに違う。脚を並べて伸ばすと高さが違う(右の方が細い)のがわかる。
 筋肉だけでなく骨も細くなっているわけで、腫瘍の影響で筋力が落ちていたのが更に弱くなった。
 筋力のある左はしびれて痛いし、血行不良ですぐに内出血するし、しびれていない右は弱くて片足では立てない。

 右足を怪我する前は杖なしで歩けたのに、今は外歩きをするときは杖が必要で、歩く距離も5〜600メートルがいいところ。休み休みでも1キロ以上は歩けない。
 無理して歩くと右足の裏が足底筋膜炎になったり、左足の裏が内出血する。

 昔は歩くのが好きで、どこへでも歩いて出掛けた。
 ひと駅離れた町へ買い物に行くのに、行きは歩いて行き、あちこち店を覗いて歩き、帰りは荷物があるから電車に乗った。

 絵を見るのが好きで、上野や竹橋や乃木坂の美術館には何度も行った。
 東京駅の大丸ミュージアムにもよく行ったが、行きは地下鉄の三越前駅から呉服橋のところに出て、広い道路沿いに八重洲口まで歩き、帰りは電車に乗った。

 今はどこか行きたいところがあっても、足のことを考えて諦めてしまう。
 美術館も、絵を見て回ると足が辛くなるので、出掛けるのをためらう。

 去年は竹橋の国立近代美術館で開催された棟方志功展に行きたかったが、さんざん迷った挙句行かなかった。駅から美術館まで歩くから、着いてからまず足を休めないと見て回れないし、展示されているものを1度に全部は見られないだろうと思ったから。
 棟方志功は20代の頃から都内で展覧会があるたびに見に行っていたし、鎌倉の棟方志功板画記念館へも行ったから、今回はいいやと諦めがついた。

 右足がサツマイモのように腫れて色が変わっていたとき、もしかしたら一生歩けなくなるかもしれないと思った。
 自分の不注意で起きた事故だから自分が悪いのだが、せっかく杖をつかずに歩けるようになっていたのに、残念でならなかった。

 でも、こうしてまた、自分の足で歩けるようになった。
 自分の足で歩けるのは幸せだ。
 できないことを嘆くより、できることに感謝しよう。




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