にんじん書房 自由が丘
高校を卒業した年は4月から8月まで5ヶ月間働いて、9月から12月までの4ヶ月はぶらぶら遊んでいた。
渋谷の東急文化会館にあった東急名画座で、ロードショー公開されてからしばらく経った映画を安く見たり、渋谷や自由が丘の本屋や古本屋をハシゴしたり、できたばかりの玉川高島屋でウィンドウショッピングしたり。
父がお金を出してくれたので、10月からは自動車教習所に通って運転免許を取った。
人には浪人していると言っていたので、運転免許を取った後、年末から受験勉強を始めた。
大学受験に失敗して浪人したわけではなく、高校3年のときは進学も就職もする気がなかった。
それには理由があるのだが、長くなるのでここでは書かない。
その浪人時代、1970年には自由が丘に古本屋が3軒あった。
広場のある方の正面改札口を出て右手の道を行くと、Mさんの好きなエンガディーナを売っていたというモンブランというケーキ屋があり、その先の十字路を左に曲がって20メートルぐらい行くと左側に「にんじん書房」があった。
にんじん書房はおじいさんとおばあさんがやっている小さな古本屋で、自由が丘で真っ先に覗きに行くのがこの店だった。
ここではボーヴォワールの「第二の性」や、ジャン・コクトーの「ポトマック」などを買った。
当時はフランス文学にハマっていて、カミュ、サルトル、ボリス・ヴィアン、ジャン・ジュネなどを片っ端から読み漁っていた。
ベケットやイヨネスコなどの不条理劇の戯曲を読んだのもこの頃だった。
白水社から出ていた「現代世界演劇」という全18巻のうち「不条理劇」を持っていたが、不条理劇は正直言ってどの話も退屈で、わけがわからなかった。
それでも手当たり次第に読みまくった。
そういう年頃だったのだと思う。
高校時代に読んだサガンの「悲しみよ、こんにちは」は強烈な印象で、あの文体に取り憑かれてサガンにのめり込み、当時翻訳されていたサガンの本はすべて新潮文庫で読んだ。
何と言っても朝吹登水子の訳が良かった。
サガンが朝吹登水子のインタビューに応じて、現代の作家ではサルトルとボーヴォワールが好きだと語っていたのが、フランス文学を読むようになったきっかけだった。
カミュは「異邦人」が特に印象に残っている。
本から立ち上ってくるようなあの暑さと浜辺の乾いた砂と潮の匂いが……。
「ペスト」はコロナになって読み返したが、最初に読んだときと同様に難解だった。
古本屋はもう1軒、南改札口を出てすぐ左隣にあった。
間口の狭い店で、古いユリイカがずらりと並んでいた。
イタロ・カルヴィーノやキャパや横尾忠則、西村玲子の本もあった。
そこから戻って駅の前を通り過ぎると、右側に大井町線を渡る踏切がある。
踏切を渡ってすぐ左に折れる道があるので、その道に進むと右側に古本屋があった。
隣は籐や竹で編んだカゴなどを売る店だった。
この道は正面改札口から左に進んでも行くことができる。
古本屋の向かいにはダンキンドーナッツがあり、古本屋巡りをした後はそこでお茶したものだ。
ダンキンドーナッツは後発のミスタードーナッツに負けて日本から撤退したが、日本で初めてのドーナッツチェーン店で、ドーナッツの種類が多いのにも驚いたし、ケーキより安くて手軽に利用できるので好きだった。
街を歩き回ってお腹が空いたときは、正面改札口の右手にある自由が丘デパートの、たしか3階にあったカレー専門店「インディア」に寄った。
自由が丘デパートはモンブランのある通りと平行になった、幅の狭いショッピングモールのようなところで、両側に小さい店が並んでいた。
1階は服や履物、アクセサリーなどの店で、2階と3階は飲食店だった。
インディアはL字型のカウンター席だけの狭い店で、照明は多少薄暗く、カレーのみを提供していた。
ここのカレーはチョコレートのような色で、具がすべて溶けてルーに混ざっていてとてもおいしかった。
この店はいつまであったかわからないが、90年代中頃にはなくなっていた。
新刊書を買ったり絵本を見たりするときは、正面改札口の左側のビルに入っている三省堂に行った。
私は絵本を集めるのも趣味で、本屋に行くと必ず絵本売り場で絵本を見た。
好みの絵の絵本を見つけると買った。
引っ越しのたびに蔵書を処分してきたが、絵本は今でも60冊ぐらいある。
あの頃あった古本屋は、現在は3軒ともなくなっているようだ。
検索すると、3軒目の古本屋と同じ場所にもっと大きい古本屋があるが、昔の店とはまったく違う。
2軒目に関しては、南改札口の隣には今は古本屋はない。
いつだったかはっきりしないが、にんじん書房がなくなったのは知っている。
あの道を通ったとき、店がなくなっているのを見て寂しかった。
私がよく行っていた頃すでに店主は高齢だったから、店じまいして老人ホームにでも入ったのかもしれない。
※ヘッダーの写真はジャン・グルニエの「孤島」というエッセイ集。この中の飼い猫を安楽死させる顛末を描いた「猫のムールー」に惹かれて何度も読んだ。淡々とした文章の中に、可愛がっていた猫を死なせなければならなかった胸の痛みが滲んでいる。
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