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HTMLでホームページを作ってみた

 自営業をしているとき、帳簿の集計にロータスかエクセルがあったら便利だなと思っていた。
 でも、パソコンを買う余裕はない。
 そんなとき、友人から「中古のラップトップパソコンを2〜3万でも売っている」と聞いて、それなら買ってもいいなと思った。

 中古のパソコンショップへ行ってみると、確かにNECの古い機種は2、3万というものもあった。
 でも、どうせならマックが欲しい。
 新宿と渋谷のパソコンショップをあちこち覗いて検討し、中古はやめて新品のiMacにしようと決めた。
 当初の予算は桁違いにオーバーしてしまうけれど、遅かれ早かれどうせパソコンは必要になるものだからと、思い切って設備投資した。

 値段の割に高性能のiMac。
 私はボンダイブルーが出た後、1999年に5色出たうちのライムグリーンを購入した。
 スケルトンで見た目も美しく、マウスも丸くて可愛い。
 Daisyという名前を付けた。

 人気商品のiMacはどの店でも在庫がなく、注文してから2週間後に配送された。
 届いてからは暇があるとサッカー関係のサイトを見ていた。

 購入した1年後、翌年50歳になるのを記念して何かしたいと思い、ホームページを作ってみようと思いついた。
 Windowsじゃなかったこともあるが、ホームページビルダーのようなホームページ作成ソフトは手が出ないので、本屋でホームページ作成の入門書を買ってきて、それを見ながらhtmlで作った。

 コンテンツは植物のイラスト入りの説明や、1981年にカナダ旅行をしたときの写真など。
 掲示板の代わりにゲストブックというページを作って、コメントを書いてもらえるようにし、コメントが書き込まれると自分宛にメールが飛ぶようにした。

 自分でもあちこちのホームページを見て回り、掲示板にコメントを書いて、そこで知り合った人たちと友達になった。
 当時知り合ったのがせーら、うにゃさん、ミムラさんなど。
 せーらもうにゃさんも自分のホームページを持っていた。

 うにゃさんやミムラさんとはせーらの掲示板で知り合い、仲良くなってそれぞれ別のタイミングでだが何度か会ったことがある。
 せーらとも一度だけ会った。

 海外在住の医師、Dr.葉月が「空飛ぶブタ」というホームページに掲示板を設置したので、みんなでそこに集まってお喋りしていた。
 ちょうどそのその頃、私の首の腫瘍が見つかって九段坂病院に入院することになり、経緯を掲示板に書き込んで、みんなからお見舞いの言葉をもらった。
 肝心の葉月が日本に一時帰国すると言ったきり、音信が途絶えてしまったので、私が葉月の掲示板を乗っ取った形になった。
 退院後の自宅待機期間にもこの掲示板を使っていた。

 虎の門病院を退院後に入院記録を書いて、自分のホームページで公開したら、それを読んでゲストブックにメッセージを書いてくれた人たちの中に、もえぎさん、ミミちゃん、Tさんがいた。
 私と同じ病気の人たちで、この人たちのことは「同じ病気の仲間たち(退院後 7)」に書いた。


 ホームページ作成の話に戻るが、最初に作ったときはまだCSS(スタイルシート)が普及していなかったので、htmlベタ打ちで書いていた。
 つまり、文字サイズや色の指定も本文と同じページにhtmlで書いた。
 今の会社に入って最初の月は仕事がなくて暇だったので、ニコニコ動画で音楽を聞く以外に、その頃にはもう普及していたCSSを勉強した。

 週末にCSSを使って自分のホームページを作り直した。
 トップページも改造して、上にタブのようにメニューボタンを並べたり、ボタンを押すとそのページが開いたり、ボタンにマウスポインタを乗せると色が変わるようにした。

 各ページも1つ1つ直していったのだが、最初に作って公開した2001年からだいぶ経っており、100ページ以上できていたので書き直すのが大変だった。
 それに、仕事がだんだん忙しくなって、週末にホームページの修正をする気力も体力もなくなってきた。
 結局、途中で放り出して放置している間に、ホームページ公開サービスが終了してしまった。

 このホームページには一般には公開していない、友人たちにだけURLを教えていたページがある。
 各ページの先頭にmetaタグといって、検索エンジンにこのページはスルーするよう指示するタグを付けたので、ページ内部に書かれている文言をGoogleで検索してもヒットすることはなかった。
 つまり、URLを知っている人にしかアクセスできない隠しページを作ったのだった。

 その隠しページに何を書いていたかというと、「WEB版気まま通信」と題して、近況報告を兼ねて、友人たちへのお便りのような記事を書いていた。
 これは「アンヌの気まま通信」のWEB版だ。

 隠しページはもう1つ作った。
 ゲストブックにメッセージを書いてくれたもえぎさんやミミちゃん、Tさん、他にも難病を患っている人や、自身は病気ではないが関心を持ってメッセージを送ってくれた人などのためのページだった。
「WEB版気まま通信」の記事の中で、外来受診や病気関連の記事のページをリンクさせて目次を作り、そのURLを彼らに送った。
 この目次のタイトルは「カフェ・アンヌ」にした。

 さらに、BBS(掲示板)も設置して、自由に書き込みができるようにした。
 この掲示板は不特定多数に公開せず、「カフェ・アンヌ」の存在を知っている人たち限定のもので、読んだり書いたりするには認証が必要な設定にした。
 私が「カフェ・アンヌ」のURLを教えた人にだけ、パスワードを教えておいた。

 無料のBBSを利用して自分のホームページに掲示板を設置する人が多かったが、私はメインのサイトには自前のゲストブックだけで、掲示板は設置しなかった。
 このBBSという用語、今では死語になっているらしい。


※上の写真は1981年にカナダ旅行をしたときのもの。
素敵な家があったので、「私の家、素敵でしょ。上がってお茶でもいかが?」と言わんばかりに気取ったポーズで撮ってもらった。
写真が小さくてわかりにくいが、チャイナカラーの服が好きで旅行にも何着か持っていったが、この赤いブラウスは特に好きだった。
この出立ちでナイアガラの滝のほとりを1人でぶらぶら歩いていたら、日本人の若い男性2人連れに英語で話し掛けられた。
彼らは私を中国人だと思ったそうだ。日本人だとわかってがっかりされたかな。
 
 

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