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56歳での就職活動

 バイト先のプロバイダーでは、ユーザの電話サポート以外に、社員のサポートや、辞めた社員が使っていたPCの初期化やOS再インストールやパッチ当て、通常使われていないがたまに使うこともあるPCのパッチ当て、休日のサーバルームの温度チェックと、サーバを監視しているモニターチェック(異常があったらシステム課のKさんに電話連絡する)なども私に任されていた。

 どの仕事も初めてなので面白かったが、電話サポートが一番楽しかった。
 さまざまな問い合わせが来るので、状況を判断して原因を推測するのは、推理小説で謎を解明し犯人を突き止めるのに似ていた。

 問い合わせがない空き時間には、15年ほど前に私が使った頃からだいぶ進化していたワードやエクセルにも触れたし、使ったことのないパワーポイントの使い方も習得した。
 何よりWindowsに慣れたことが大きかった。
 MacとWindowsでは使い勝手がだいぶ違っていたので、ここでWindowsに慣れていなかったら、今の会社の仕事は無理だった。

 ここでの2年間は、自分のスキルをレベルアップできた上、社員たちとも仲良くなって楽しかった。

 ただ、収入とこの先のことを考えると、きちんと生活できるだけの収入が得られる、安定した正社員の職を探すべきだと考えた。
 そこで、接続サポートのアルバイトをしながら職探しを始めた。

 まずはネットの求人サイトで、マニュアルライターを含む、自分ができそうな仕事を探して履歴書を送った。
 ほとんどがおそらく年齢を見ただけでろくに中身を読まずに、「残念ながら」という決まり文句を付けて返送されてきた。

 あの頃、何度履歴書が送り返されてきても、この広い世の中、きっと私を必要とする会社があるに違いないという信念で、めげずに履歴書を送り続けていた。

 それと並行してハローワークの求人情報が載っているサイトで、職種、給与、勤務時間などを指定して検索し、良さそうなのがあると管理番号を控えてハローワークに行った。
 そこで番号を指定して募集の詳細を調べ、良かったら担当の窓口に申し込む。

 その頃は募集に年齢制限を付けてはいけない決まりになっていたように思うが、一応電話で先方にその点を確認してもらった。
 こちらの年齢を聞いて、それで構わないという返事があれば(たいていは構わないと言われる)求人票をもらう。

 それからどういう手続きがあったかもうすっかり忘れてしまったが、事務系の職種の場合は面接まで行ったことが何度かあった。
 面接と同時にワードで文書を作るテストがあるところもあった。

 ワードはバイト先のプロバイダーで使えるようになっていたので問題なかったが、応募する人は何人もいたから、年齢でふるいにかけられたかもしれない。
 面接までいってもことごとく不採用になった。

 2007年9月末から就活を始めて、11月になってようやくハローワークで良さそうな求人を紹介された。担当の人が、私に向いていそうだからと連絡してくれたのだった。

 ここはコンピュータソフトウェアの開発・販売をしている会社で、サポートデスクを募集していた。
「お客様(法人システム部担当者様)と弊社開発陣とのパイプ役」というものだった。

「仕事の内容: コンピュータ・ネットワーク用語にアレルギーのない方、及びマイクロソフトOffice (ワード、エクセル、パワーポイントなど)のドキュメントを清書できるスキルをお持ちの方」
「必要な経験等: コンピュータ操作に慣れている方」
 求人票にはそう書かれていた。

 これは私に打ってつけ。
 給与もそれまでに応募した事務職より良かった。ただし試用期間が3カ月あり、その間の給与は3分の2だった。

 私はマザーズハローワークが近かったのでそこに行っていたが、この会社はマザーズで受け付けてから6日目で、応募者ゼロということだった。これはチャンスかも!

 一方、ネットの求人サイトのIT企業には数えきれないほど何社にも履歴書を送り、ことごとく返されてきた中で、1社だけマニュアルライターを募集している会社の面接に呼ばれた。
 こちらはマニュアル制作を専門にしている会社で、仕事の内容はコンピュータソフトウェアのマニュアル作成のみだったが、契約社員で、1年後に正社員に登用される可能性があるとのことだった。

 マザーズで紹介された会社からも面接に呼ばれたので行ってきた。
 都内だが都心をはずれた場所にあるため、通勤時にラッシュの電車に乗る必要がないのは魅力だった。
 駅のすぐそばのビルの5階で、エレベーターがないのが難点だが、そんなのは些細なことだった。

 11月12日、履歴書と職務経歴書を持って面接に行った。
 5階まで階段を上がり、部屋に入ると、正面に大きな窓があり、窓の下にパソコンが並んでいた。
 右手の壁には金属製のラックがあり、平たくて大きいマシンが何台も置かれていた。これはサーバだそうで、稼働しているので大きな音がしていた。
 ドアの左手にもパソコンが置かれていて、壁に向かって作業するようになっており、部屋の中央には分厚い白木のテーブルが置いてあった。

 そのテーブルの前に座るように促され、社長と開発責任者のAさんが面接してくれた。
 社長が私の履歴書と職務経歴書をAさんに渡すと、Aさんから過去のIT関連の仕事について、いくつか質問された。

 私は大学卒業後に学習塾で教えていたが、80年代初めにパソコンインストラクターのアルバイトを始め、ひょんなことからマニュアルも書くことになった。
 それがきっかけで、フリーでパソコンのマニュアルライターとして働くようになり、学習塾の時間数を減らして、ビジネススクールで教えたり、そこで使う講習会用マニュアルを作ったりしていた。

 しばらくそんな状態が続いたが、そのスクールを運営している親会社から、正社員になってスクールのPC部門で教室管理をしないかと言われ、初めて会社勤務を経験した。
 3年ほど勤めたのちに会社を辞めて、ITとはまったく関係のない仕事を始めたのだった。

 面接が終わり、この会社に決まればといいなと思いながら帰った。

 マニュアルライター専門の会社からは既にオファーをもらっていたが、最初の1年は契約社員であることと、勤務地が港区の海側の方だったのでラッシュの電車で通勤しなくてはならず、こちらの結果がわかるまで返事は保留にしていた。

 そして……


 面接に行った翌日、メールで採用通知が届いた。
 あぁ、良かった!


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