なぜ、「やめれやー」になってしまうのか?

『マコリプ』(第2巻)の「リップ16: 二次元オタクパパ」の最後のページで、「ゴロツキ」のような「すさんだ目つき」のマコが朝食のトーストを食べながら、両親に向かって「しゃべりかけないで汚物ども」と言う。両親は気づいてないが、前夜、彼らはマコの眼前で夫婦の営みを始めそうになったのだ(土壇場で、マコが「妨害」して「事なきを得た」のだが)。

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と、こんなことを書くと、尾玉なみえを読んだことがない人は、思春期向けのめんどくさい漫画のように勘違いするかも知れませんが、それは違います。あくまでもお気楽で愉しい漫才ネタ風ギャグ漫画(+ガンダムネタ・エヴァネタ・荒木飛呂彦ネタ等々漫画)です。

で、結構なオトナである我々読者は、マコ(9歳女子)の「しゃべりかけないで汚物ども」発言を、当然のように「まあ、無理もない」と思うし、結構なオトナである作者・尾玉なみえもやっぱり、その〔読者のマコに対する「理解」や「赦し」〕、輒ち 〔「ソウイウコトをソウイウフウに感じる年頃だよね」対応〕を見越してのこの最終ページなわけ――なのは、まあ、わざわざ説明するまでもないことなのだが、問題はそこではない

わざわざ説明しなければならない問題、それは、そもそも、何故なぜ、子は、両親の性交を「ふたりともきちゃならしすぎ」(マコ)などと、受け止めがちなのか?ということ。「子は」などと一般化してごまかす必要はない。何故、我々は、自分の両親の性交の場面を目撃したり、或いは単に想像することすら避けようとするのか? 

――と、いった具合で、尾玉なみえの漫画には、思索を刺激するタネ・キッカケが散りばめられているので、やめられない。

因みに、上で掲げた問題の答えは簡単で、自然淘汰の成せるわざ

子どもであるアナタの目の前で両親が子作りを始めるということは、近い将来、アナタに対する両親から「投資」が減るか、ひどい場合には途絶することを意味する(両親は、新しく生まれた弟や妹の面倒に傾倒するだろうから)。「両親の性交」を「不吉・不穏・不愉快」と捉えることができれば、アナタはそれを「妨害」するだろう(子どもの「邪魔」が入ると、夫婦の気分ムードが一気に損なわれるのは、このことと関係があるはず)。そして、新たな弟妹の出現を阻止したり遅らせたりすることで、アナタ自身が両親からの「投資」を独占し生存率を高めることできる。その際、見落としてならないのは、自分自身が繁殖活動を実践し始めると、両親のソレに対する「汚らしさ」感は概ねなくなること。お互い様感が勝つのだろう。

だからこうなる。

まだ自分が繁殖できない時期に、両親の繁殖を嫌悪し、阻止しようとする性質を持った個体が、そうではない個体よりも多く生き延びたので、今生きている「我々」は通常、子供時代(自身がまだ両親からの投資を必要としている時期)には、両親の性交を受け入れ難い。(そして――だから――両親も、子どもに「見つからない」ようにソレをスル)。


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