みんながひとつ考え落ちをしている

「脱走」したアムロが戻って来て、今度は逆にハヤトやカイがホワイトベースから出て行ったときに、ブライトがミライに「考え落ち」について話す。みんな大好きの、所謂「富野節」。この場面の「意味」を岡田斗司夫が解説しているのを聞いて少し違和感を覚えたので、また余計なことを考えた。

ブライトがあそこでミライに話していることを、「通常の日本語」で言いなおすとこうだ。

ハヤトたちがホワイトベースを出ていったのは、僕(ブライト)が、アムロだけを「特別扱い=アテに」していることへの反発だろう。しかし僕(ブライト)がアムロを「特別扱い」するのは、アムロがいなくなったときに感じた「絶大な不安感」が理由だ。つまり〔戦力としてのアムロ一人がいれば、ホワイトベースは生き残れる〕というような話じゃなくて、〔アムロがいなくなるとすごく不安〕=〔アムロがいると、なにか大丈夫な気がする〕という、もっと漠然とした「縁起えんぎ」のようなものが理由で、僕(ブライト)はアムロを手放したくない(アムロに「甘い」)。で、この〔アムロ脱走中の絶大な不安〕は、みんな(ミライやハヤトやカイやセイラ)も感じていたはずなのに、アムロが帰ってきたらもう「忘れて」しまって、一本気のハヤトなんかは「ブライトは、アムロ一人いればいいんだろう!」って考えて脱走してしまった。でも、そうじゃないんだよ。もしも、リュウが無事に、ハヤトやカイを連れ戻してくれたらこの話をしよう。そうすれば、連中も納得してくれると思うんだがね。

これがブライトの言う「みんなが一つ考え落ちをしている」の「意味」。

こう考えられる一番の理由は、その直前にブライトが口にするミライに対する評価。ブライトは、あそこでミライに対して「君も星回りのいい人だと思うが、アムロだよ」と言う。「星回りのいい」というのは、つまり、「なぜかいつもツイている」ということ。理由はわからないが、とにかく、めぐり合わせが良くて、人生の場面場面で、目に見えない力のようなものが働いて、その人物の関わるモノゴトが「好い」方向に行くというような意味。

ここまでは岡田斗司夫の言ってることと同じ。というか、これは単なる「事実」なので、誰の解釈でも同じに決まってる。違和感を覚えたのはこのあと。

岡田斗司夫の解説では、この場面は、〔ブライトの成長を描いた場面〕ということだった。ミライに「ホンネ」を言えるくらいに、指揮官として成長したブライトを描いた場面だと。しかし、ブライトはこれ以前にも、乗組員たちに(ミライを相手にした場合には得に)割合ざっくばらんに本音や弱音を吐いているし、愚痴もこぼしている。ブライトは、ルナツーで味方に拘束された辺りから徐々にホワイトベースの連中に対して仲間意識のようなものを持ち始めて、「親父にも打たれたことないのに!」で、実はもう、かなり「身内意識」を持っている(アムロにとっての兄貴あるいはむしろ親父)。「ジオン公国に栄光あれ〜!!」以降は、もう完全に「疑似家族」という感じ。これは、『ガンダム』を何周もしていれば自然に分かる。だからこその「時間よ、止まれ」や「再会、母よ」の展開なのだ。正規軍でなない(どころか正式な軍隊の訓練をまったく受けたことがない者がほとんどの集団)の指揮官を務めるブライトは、割合早い時期から、「上官」と「部下」というよりは、「気心の知れた仲間」として、ホワイトベースの乗組員たちに接している。だから、「考え落ち」の場面でミライに「ホンネ」を言ったからと言って、別段それがブライトの成長を表しているとは思えない。

この場面は、ブライトの成長云々ではなく、アムロの周りの人間が、この物語の「主人公」であるアムロに〔或る種のカリスマ性〕を感じ始めていることを、視聴者に知らせる場面。つまり、アムロが「他とは違う特別な存在である」ということを周囲のキャラクターが気づき始めたという描写によって、視聴者に対して〔アムロの「特別感」=「主人公性」〕をほのめかした場面。アムロは、それまでのロボットアニメの主人公たちとはまるで違って、愚痴っぽいし、怯えるしで、とにかく主人公に全くふさわしくないキャラクター。なので、このまま主人公であり続けるためにはナニカがなければならなかったのだ。(厳密に言えば、アムロが、主人公にふさわしい特別なナニカを持っていることを、視聴者に対して示さなければならなかったのだ)。

もっと穿った見方もできる。

そもそも、主力兵器を無断で持ち逃げした人間がロクな罰も受けずにその後も主力兵器を使い続けられるのは、どう考えてもおかしい。不自然。その不自然さを回避するために、ひねり出されたのが、「考え落ち」と「アムロ不在時にブライトたちが感じた絶大な不安」。つまり、身も蓋もない事を言ってしまえば、これは、視聴者に対する一つの言い訳。あんなとんでもないことをやらかしたアムロが、「裏切られ、命の危険にさらされた側」のブライト以下ホワイトベースの乗組員たちに許され、元のとおりにガンダムのパイロットを任される(ということは、『ガンダム』の主人公でいられる)のは、ブライトたちがアムロに特別なものを感じているからです、という「苦しい」言い訳。しかし、怪我の功名。この苦しい言い訳が、主人公らしくないアムロが主人公でいつづけられる根拠になり、後の「ニュータイプ」としてのアムロへとつながるからだ。

【余談】ブライトはアムロ一人がいれば大丈夫とは思ってない。ハヤトやカイがいなくなれば、困るに決まってる。後に、ウッディ大尉がアムロに諭したように、アムロ一人、ガンダム一機の働きで、ホワイトベースが生き残れたりするわけがないことは、職業軍人であるブライトが一番わかっている。だから、ハヤトやカイを「その他大勢」と思ったことなんかないのだ。だから、あの「頼む、リュウ!」になるのだが、この「頼む、リュウ!」について、岡田斗司夫は、〔ブライトは自分に人望がないことがわかっていたから、自分は残ってリュウに迎えに行かせたけれど、こういうときトップは、たとえ自分に人望がないとわかっていても、現場にいかなきゃならない。ブライトはマダマダだ〕的なことを言っていたけど、これは全くのマト外れ。岡田斗司夫が、自分の言いたいこと〔=たとえ人望がなくてもトップは直接顔を見せて話をしなけりゃならん!〕に、ガンダムのエピソードの方を捻じ曲げて引き寄せただけ。人望云々の話じゃない。ブライトは指揮官なんだから、ホワイトベースを離れられない。ただこれだけ。全体を指揮する者が、説得しても帰ってくるかどうかわからない「脱走兵」を連れ戻すために持ち場を離れている間に、ホワイトベースが敵に襲われたら目も当てられない(実際、ランバ・ラルが攻めてきた)。指揮官といっても所詮は新兵のブライト一人いなくても、と思うかも知れないけど、リュウが戦死した直後にブライトが過労でぶっ倒れた時のホワイトベースはかなり危なかったからね。アムロも「持ってる」けど、ブライトも「持ってる」んだよ。

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