芸術家と興行師

原作者(作家、漫画家、或いは脚本家、俳優)は「芸術家/表現者」だけど、テレビ局は、言ってみれば「興行師」。芸術家/表現者が作り出そうとしているのは、究極的には、「千年生き続ける作品」であり、「百年後に発見される(評価される)大傑作」だけど、興行師が求めているのは、「今日、この場所で、今生きている客に提供できて、しかも、受けるもの」。

「不穏」なのは、今言った「興行師が求めているもの」の条件に当てはまるものが、テレビドラマ以外にもいくらでもあること。「有名人の性的嗜好」から「戦争」「災害」「殺人事件」に「象人間」。テレビ局の本当の「お客様(顧客)」であるスポンサーには害を及ぼさず、かつ、その「お客様」が高い金を払って買ってくれている時間帯に客を集められるものなら、「出し物」は何でも構わないのが、「興行師」としてのテレビ局。

実は、出版社やレコード会社(もう絶滅した?)も、本質は「興行師」なんだけど、彼らがテレビ局と違うのが、「作品」のファンが「直接のお客様(顧客)」だという点。だから、テレビ局に比べれば、圧倒的に「作品本位」に振る舞う。でも、本質は「興行師」なので、例えば、出版社とテレビ局は「話が合う」し「言いたいことは分かる」し「作家に対する本音も似てる」。だから、出版社は原作付きドラマ制作にはノリノリ。

そういうわけで、原作者がドラマ化を拒絶する場合、原作者は「自身の」出版社も「敵」に回すことになりがち。「原作レイプ」という不穏当な言葉があるが、そう考えると、出版社は、「嫌がる妻や彼女をフーゾクで働かせるクズ男」ということになりやしないか?

それはともかく。

原作者は、「興行師」である出版社との付き合いから、同じ「興行師」であるテレビ局を「値踏み」して、「まあ、滅多なことはないだろう」と「我が子」を差し出し、結果、痛い目やツライ目に遭う。〔テレビ局も、出版社と同じように「作品」を売っている〕と誤解したのが、ツライ思いをすることになる原因。テレビ局が売っているのは「作品」ではなく「視聴率(という幻)」。「作品」は視聴率を稼ぐための「出汁」として使うだけだから、その「扱い」も、ときに、「豚骨」や「魚のアラ」や「クズ野菜」のようになりがち。

いずれにせよ、これからは、「原作付きのドラマ」を制作することに、以前ほどの「旨味」はなくなるだろうね。というか、あと十数年か数十年で、生身の俳優が演ずる映像作品は、ほぼ姿を消してしまうだろうし、脚本は生成AIが無限に作り出すだろうし、「原作付き」とか「完全オリジナル」とか、そういうあれこれも全て「過去のこと」になるんだろうなあ。

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