たぶん、実は「文脈」で変わる「自然」

是枝裕和の『ワンダフルライフ』という映画を観た。
と、言っても、映画そのものの話ではない。

最初の面接の場面で次々と登場する「死者」の、誰がセリフを喋ってる俳優で、誰がセリフを喋ってない素人や芸能人かの違いがすぐに分かるのはなぜだろう? つまり、演技でセリフを云っている俳優と、セリフではなく「インタビュー」に答えて、本当に思い出話を話しているだけの人の違いが分かってしまうのは、俳優の演技というものが、すでに自然な人間の振る舞いからは決定的に隔たったもので、もうどうがんばっても、セリフは所詮セリフ、演技は所詮演技ということなのか?

と、思いながら観た。

つまり、たとえば、歌舞伎役者の演技の「リアリティ」は、歌舞伎の上でしか「通用」しないものだというのと同じ意味で、フツウの現代劇の映画の俳優の「自然な演技」も、実は映画の中でだけ「自然」として通用するものなのかもしれない。まあ実は全員が俳優で、全員が割り当てられたセリフを云ってたのなら、私が「これは素人さんがインタビューに答えてるだけだよ」と看做したその人たちを演じた俳優は「すごい」演技力ということになるけど。

そうそう。俳優が映画や芝居の中でする演技は、日常の中で俳優でない人がいろいろな理由や状況で「演技」するときの演技(実社会という「本番」のための演技)とも違うんだよなあ。

2014/02/03 アナトー・シキソ

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追記(2023年5月28日)*恐ろしいことに、映画の内容は全く覚えていない。上の文章を読み返しても全く思い出せない。それがオモシロくて再録。でも、ここで述べている、俳優のセリフや演技についての大疑問は今も変わらず抱えている。(穴藤)

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