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時が解決出来ないもの。



悩みごとを聞いてくれた人が、『時が解決してくれるよ』って言う時は大体、成熟した精神の持ち主に対して子供っぽい考え方や気の弱い性格の人が泣き言を言ってしまった時に放たれる場合が多いと思ってまして。


つまりは相談された側が、相談してきた相手に対して、

話はよくわかったが多分それに対して今なにを説明しても理解できないというかしようとしないだろうなと判断を下した場合に"それ"(時が解決してくれるよ)を言うんですよね。


でもそれって、時が解決しない場合もあるような気がしてきたんですよ!


他者とのトラブルによって起きるいろいろは、大体時が解決出来る系の問題だと思っていまして。

と言うのも、他者とのトラブルってなんか見えない色々が複雑に絡み合って起きるじゃないですか。


例えば突然職場の人やクラスメイトの態度が冷たくなったとか、私だけ遊びや飲み会に誘われなくなったとか、話しかけても無視されるようになったとかってのは、自分にあまり身に覚えのない複数人から嫌われるというイベントが発生してしまっていて。


どうクリアしたらいいのか見当もつかないまま落ち込んでいる状態ですよね。


でも実はそういうのって長ーい制限時間が設けられていて。


そのイベント開催中のダンジョンからクリアすることを捨てて離脱する(離職、転校)という選択肢とは別で、なんかよく分かんないけど仕方がないからやれるだけの事やりつつやるべき事にフォーカスしつつやり過ごすという選択肢もあるじゃないですか。



その選択をした人にだけ与えられる長ーーーーい制限時間しゃうりょうってのが人生にもあると思っていて。


それが例えばいじめっ子の女の人が寿退社するとか、自分が逆に妊娠してそのまま円満退社するとか、実は全ての糸を引いていたのは支店長で、その支店長がセクハラで訴えられていなくなるとか、そんなさらに自分の知らないところで脅威だった存在がその空間から離脱する日がくるんじゃないかな的な。笑



とにかくそんなに自分でどうにかしようとしなくとも、勝手にそのトラブルメーカー的な人はいなくなると言うか。むしろ自分がトラブルメーカーじゃないことはのちにその真のトラブルメーカーが現れることで証明されると言うか。


そう言う場合に限り、時が解決してくれますよね?



でも、、



自分の中の何かが原因の場合はなかなか時は解決してくれないこともあると思っていて。



その場合、勝手に時が解決するのではなく、自分と向き合う時間を作ることで解決策を見出すことが出来るんですよね。


答えは自分の中にあるのだから。



時が解決するってのはちょっと説明不足ってことですよね。



果報は寝て待てと言うけれど、己の敵は己なのだとしたら、己と向き合うほかないわけですね。



今日はそんな、時が解決してくれると言う言葉は実は説明不足なところがあって、本当は、環境というのは変わっていくものだから、その変わる瞬間まで我慢するか、それでも中々変わらなくてヤキモキするんだったら、自分の中で譲れるところを譲れるところまで譲ってみて、さらに自分の心と向き合ってみて、解決策はないかと考えていたら自ずと答えが見えてくるかもしれないからそういう時間を作るといいかもしれないよねっていうのが"時が解決してくれる"って言葉の真意だったのかもしれないお話でした。ながっ



もう土曜日だし!笑


今日はライブですっ!

バタバタの週末!


それではまた来週っ!!





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