見出し画像

1歳で補助なし箸を使えるようになった娘の食卓における環境設定

「ちょっぷすてぃっくす、かっこいー」
「ちょっぷすてぃっくす、わたしも、ほしー」

辿々しい2語文で、そう娘が言ったのは1歳半の頃だった。
食卓で、夫と私の食事風景を見ながらそう言うのだ。
彼女はその時は当たり前にスプーンとフォークで食事を摂っていた。
自分と違うアイテムで食事を摂る親を見て羨ましくなったのだろう。

そうかあ、かっこいいかあ。
じゃあ貴女のも買ってあげようねえ。

と言うと彼女は嬉しそうにはにかんだ。

初めて自分の箸を手にした1歳9ヶ月の娘

とは言ってもだ。
たかだか1歳である。
私は知っているのだ。
どう考えても今の彼女が箸を使うなど、到底無理な話だということを。

というのもね。
少し前に見たEテレで、娘よりかなり大きい保育園児がなんとかかんとか箸を使って食事をしているシーンを見たことがあったのである。

上手く使えなくて焦ったくなり、とうとう箸を持たない手で唐揚げを口に運んでいたっけ。
あんなお兄ちゃんお姉ちゃんですら難しいものを、この目の前のやっと2語文を話し始めたベイビーが使えるもんか。

ということで、その時はいつかまた、ちょっぷすてぃっくす、ちょっぷすてぃっくすと言い出した時に差し出す、練習用の補助箸をAmazonでポチッとするに留まったのであった。

次に、ちょっぷすていっくすと言い出したのはそれから間も無く1歳9ヶ月の頃だった。

私の実家に帰省した時に、じいじもばあばも父も母も箸を使いご飯を食べているのを見て、自分もちょっぷすてぃっくす、ほしー、と言い出したのだ。
そのときは軽く文句も出た。
(むすめは言語発達が異様に早く、この頃はもうかなりスムーズに大人と会話していた)

「ママ、私のちょっぷすてぃっくす、買ってくれるって言ったのに買ってくれない」

それを聞いたばあばが、小さいお箸はお弁当用のしかないけど……と古い古い弁当用の箸を食器棚から取り出してきたのである。

すると彼女は嬉しそうにそれを手に取り、おぼつかなくその小さな手に箸を握った。
そしてその箸先は、皿の上の小さなブロッコリーをつまんだのである。

なんということだあ!!まだ1歳にしてブロッコリーを箸でつまんだああああっ!!」

その様子を固唾を飲んで見守っていた、親バカな私たち夫婦と、じいじばあばバカなじいじばあばは、大歓声をあげた。
大騒ぎする大人を前にして、褒められたことが分かった娘は満面の笑みで調子づいて箸をすすめた。
華々しい彼女の箸デビューだった。

調子に乗った娘はそれから、親の箸使いの観察を入念に行うようになった。
食事の時には気が済むまで箸を使い、なかなか難しいと感じるとスプーンとフォークに切り替える。

ポチってからすぐに我が家にやって来て、その時を待っていた補助箸は、満を辞して娘に渡された。
が「これはばあばがくれた箸じゃないし使いにくい」と娘には受け入れてもらえず、初回一回でお役御免となった。

娘の箸を使わんとする意欲を目の当たりにしていても、依然として私の中には「こんなに早く箸を使わんでも…」という気持ちが拭えずにいた。
別にスプーンとフォークに固執していたわけではないのだが、箸トレーニングをやろうという気が、さらさらなかったのだ。

しかしそんな彼女は2歳になる前には、比較的上手に補助なし箸で食事がとれるようになり、2歳半には大人用の箸でも割り箸でも菜箸でも、上手に使いこなせるようになった。
うどん屋の割り箸をうまく使うようになって以降は、外食も本当に楽になってありがたいことである。

箸トレーニングをしなかった娘が、箸を使えるようになる過程で私が工夫したことをまとめたい。

2歳半。
菜箸を使って料理の手伝いをしている様子。


1.お気に入りの箸を食卓に、置かない

私はまず、娘から求められる時のみ彼女の気に入った箸を食卓に置いた。

「求められる時だけ」というのがポイントで、求められなければ出さなかった。
なので、基本的にはフォークとスプーンである。
食事の途中で「ちょっぷすてぃっくすは?」と聞かれたらいそいそと台所へ行き箸を渡す。
そして気が済むまで箸を弄らせ、飽きてきてるなと思ったら「フォークで食べたら?」と促した。

私はご飯を共にする時は常に娘のそばにいたので、誤飲対処法を確認して以降、彼女の大好きな豆類を食事の中に入れていた。
(よく噛んで食べよう、と常々言いつつ食べさせていたので今も娘は自分で「慌てずよく噛む」と言いながら食べている)
箸で食べられる食材で1番早かったのが、枝豆である。
枝豆を箸で食べられるようになり、食事に枝豆を入れた時は
「枝豆はお箸で食べる?」
と娘に聞く。
食べる、と言われたら箸を添え、スプーンで食べる、と言われたら箸は出さない。

つまり、基本的には娘の気の向くままに箸を使わせた。

2.食材の切り方を工夫する

私たちが箸でつまむ食材には色んな形状、色んな硬さがある。
かたいもの、まるいもの、つるつるしたもの、やわらかいもの、ざらざらしたもの。

娘の食卓に箸を添えることすらしない私だったが、代わりに考慮したことには、

「箸を使って食べられる食事」を作る、ということである。

箸は食べ物をつまむ道具だ。
よく他の方々がやっている、ふわふわの小さなボールをつまむお箸トレーニングなど「食べられないもの」を箸でつまむ練習に、私はかなり抵抗があった。
なので食事やおやつ時以外でのトレーニングは、一切やらなかった。

私は食事を作る時に食材の切り方や形状を工夫することにした。

野菜を角切りにし、茹でる時間を長めにして柔らかくしたり、逆に短めにして硬い食感にしたり。
大小の豆をサラダに入れてみたり、ごはんを小さなボール状のおにぎりにして皿に乗せたり。

カボチャの煮物を作る時も、形を残したものをしっかり入れ込む。
ポテトサラダもマッシュし過ぎず素材の形が残るように作る。
胡瓜も乱切りにしたり長い千切りにしたり、小口切りにしたり、色んな切り方をしてみる。

「箸を使いたい」と言う日も言わない日も、「箸」を意識した切り方や素材を考え、食事を作った。
そしてひとつの皿の中で、箸での成功体験と失敗体験を積めるようにするのである。

食事を通して箸を使うと、成功した時にはもれなく「食べられ」失敗したら「食べられない」。
そうすると、次第に工夫して箸を使うようになり、試行錯誤の数だけ上手くなっていった。

こう書くと大層なことをしているように見えるが、言うほど大変なことではない。

「幼児食」をすこし大人が食べる食事の形状に寄せていっただけの話だ。
食材を切る時と火を通す時だけ、少しだけ箸の存在を意識し、器に入れる時に「これは箸で上手くたべれるかな」というものを入れるようにするのだ。

3.食事を一緒に摂る

どんな時も子供にとって身近なモデルは、親である。
食事のマナーを教えたいという時は、本を買って読ませるより親が実践しているところを見せる方が断然早いし、本好きな人になってほしいと思う時は、親が本を読む姿を見せるのが早い。

親は子供にとって環境の一部だ。
環境設定するならば、まずは親が、という姿勢で毎日過ごしたいではないか。

箸をうまく使って欲しいならば親が箸をうまく使うところを見せるのが良いのでは?
ということで、私は自分が箸を使う様子をよく見せる工夫をしてみた。

親のごはんは、娘と似たようなメニューを大皿によそい、そこから小皿に各々が取り分けるスタイルをとる。

そうすると、娘が食事の最中、ふと顔を上げた時に親の箸が何度も大皿から小皿へ移動するのが見えるのだ。

娘は親の箸使いを無意識によく見る。
そうしているうちに、親の手は箸のどの部分を持っているのか、どこにどの指がありどんな風に物をつまんでいるのか、箸の取り上げ方はどうか、箸の置き方はどうか、などをじーっと観察し、ひとつひとつ実践するようになる。

私の箸の持ち方を、まず娘は真似た。
そして少しずつうまくなった。

補助なしの箸でも、それなりの工夫は必要だが観察する目と機会があればしっかり正しく持てるようになるのではないかと思う。
特段箸使いを教え込むトレーニングはしなかった。

本人の気の向いた時にやるスタイルで
2歳になる前には箸で白米を食べられるように。

3、道具としての箸の役割を伝える

白米は箸で食べるが、チャーハンやドリアはスプーンで食べる。
味噌汁は箸で食べるが、ポタージュスープはスプーンだ。
わらび餅は箸で食べても良いが、ゼリーやケーキは箸で食べない。
素麺は箸で食べるがパスタはフォークだし、サラダは箸でもフォークでも良い。

料理にはその料理に合ったツールが必要で、適宜使い分ける必要がある。

白米を箸で食べる練習は必要だが、チャーハンやドリアを箸で食べる練習をする必要はないし、ミートソースのパスタを箸で食べる練習も必要ない。
わらび餅はともかく、ゼリーやケーキを箸で食べるなんて、意味がわからない。

あくまで美味しく綺麗に食事をとるための道具なのだから、それを意識して箸に親しませたい。
「不必要な箸の練習は行わない」というのは、今思えばぼんやりとした私のこだわりだったかもしれない。

4、不必要に褒めない

人間というのは「褒められる」と大抵嬉しいものだ。
大人ですら人に褒められると嬉しい。子供も同じである。

自分自身の育児に関して考えると私はこの「褒め」に関しては、かなりこだわりがあるように思う。

というのも、単純な「褒め」というのは案外結構手軽にできるなと思う。
「すごいね」「やるじゃん」「さすが」など、パパッと言える簡単な言葉が「褒め専用語」として山ほど存在するので、とりあえず瞬発的にこれを口から発すれば、何となく、それっぽいのである。

枝豆を箸でつまめたとしよう。
「わあ!やったあ!枝豆を箸でつまめたあ!今のとても上手だったねえ」
と褒めると、娘は調子付く。
そして続いて二つ目の枝豆に箸を伸ばす。
そしてまた上手に枝豆をつまめたとする。
「わあ!次もうまくお口に入った!いやあ、お箸の持ち方が上手だもんなあ。手の位置も良いね。ウン、なんとなく力加減がわかってきたんじゃなーい?」
と褒める。そしたら娘は更に嬉しそうに枝豆に箸を伸ばし、成功する。
こうなるともはや偶然ではない。
彼女は「箸で枝豆をつまめるようになった」のである。
ここにきたらもう私は娘を「褒めない」。
「おお〜三つ目もちゃんとお口に入れられたなあ。もう枝豆はお箸でつまめるようになったんだな。やったやったあ。よし、じゃあこのヒヨコマメも同じ感じでやってみる?」
である。
もうこれ以降は枝豆では褒めない。
ヒヨコマメをつまめたら褒めるんである。

母に褒められなくなったことが「クリア」。
彼女の中でも枝豆をクリアしたことが認識され、次なる意識はヒヨコマメへと早々に移っていく。

「褒め」の効力は山ほどある。
ちやほやさせるのに使う場合もあれば、行動や発言を「ヨシ」とする為に使う場合もある。
愛情表現として使う場合だってあるし、あえて褒めることで自分の行動や発言の意識化を促す場合もある。

どんな場合でも、「効力発揮させたい」その時だけ「褒め」を使うのが一番効き目があるように思う。
不必要に褒めの言葉を連呼せず、きちんと褒めるべき時に具体的に褒めると、次の行動に反映されていった。

お箸周辺のあれこれと、これから

箸を正しく持ち正しく使える、というのはゴールではない。
「どんな箸の使い方がマナー違反か」「箸の美しい所作」というものも娘には知っていてほしい。
そう考えると、食事のマナーや嗜み、というものをきちんと教えていけたら良い。
箸の取り上げ方、置き方、つまんで口に入れる時気をつけること。
娘が4歳になった現在は、食事におけるマナーを一つ一つ確かめるように教えている最中である。
今年は「中華」「フランス料理」「和食」「韓国料理」といろんな国のいろんな食事を体験させたい。
その中で、食事に関するマナーを学ぶ機会を設けられたらと思っている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?