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就学前にやりたいと思っていること(仮)

娘は現在4歳5ヶ月だ。この春、年中にあがった。

娘が生まれた頃は、ずっと赤ちゃんでいるような気がしていたし、やれ授乳の時間だやれ離乳食だ、歩いた走った、喋った、と本当に小さな小さなステップを登って行くような日々だった。

そんな小さな子が、就学まで残り2年となり、そろそろ就学後の生活を見据えて生活しようかというところにきている。

入学準備と一言に言ってもその内容は様々だ。
見回してみると「入学準備」という文字は色んなところで目にする。
ほら、書店にあるワークやドリルの類には「入学準備」って書いてあるし、インスタをひらけば「ラン活」とか「入学前にさせたこと」とかいうワードが山のように転がっている。
Xを開けば「小受」とか「お教室」とかそういう呟きもチラホラだ。

さて、それらを一旦全て閉じて、就学の支度をしていく、ということについて私自身がじっくり考えてみようと思う。

私の子育ての中心におきたいことは、「まずは親が考え行動する」という視点だ。
せっかくの子育てなのだから、入学準備も堪能したい。

タイトルに関して「仮」とつけたのには理由があり、今後の追記があるかもしれないなと思ったからだ。
小学校入学までに2年ある。
この間、また新しい追記事項があれば書き足したいと思う。

1.自分で自分を整える習慣をつくる

・「見た目」を自分で整えられるようにする
上のシャツは必ず外から見えないようにする、髪の毛が目にかからないように気をつける、食事の後は口周りのチェックをする……。
もっと小さなことを言うと、靴下の高さは同じにする、立ち方や座り方。

そういう「見た目を整える」視点はいちいち教えてあげることも必要だろうが、「他人が自分を見た時にどう見えるか」を意識できるようにする方がおそらく手っ取り早いように感じる。

ということでまずは食事の後に手鏡を見ること、外出時に鏡を見ること、そしてひとつひとつチェックをすることを、今のうちから習慣化している。
年長に上がる1年後には、きっちり自分でやってもらおうと思っている。

2.「なぜ」を放っておかない癖付けをする

机に向かう習慣を、という考え方がそもそも我が家にはないような気がしている。

正直、勉強が嫌いなら嫌いで仕方ないし、学歴がなくても楽しくハッピーに生きてくれたらそれで良い。
良い大学に行くこと、大企業に勤めることは我々夫婦の中で全く重要視されていない。

なので、机に向かう習慣作りは、余程何かの事情があり気が変わらなければ、おそらく就学まで、または就学以降もあまりやらないような気がする。

その代わり、心底大事にしたいと思っていることが「自分の疑問を放置しない癖づけを行う」ということである。
これはもう我が家の育児上最も重要視されており、優先度も1番高い。

目を動かしてみる。
耳を澄ませてみる。
興味を持って触ってみる。
そんな五感で世界を感じることは、生まれてすぐから取り組んできた。
これは、世界を面白がる手段としてまず1番初めに大切だと思っていた故である。
「気づく」ためのアンテナ作り、という気持ちでやってきた。

私たちは、娘が2歳3歳と歳を重ねる中で、少しずつその「世界の楽しみ方」をさまざまな方法でプレゼンすることにしていた。

その辺の散歩の時、ぼーっと壁を見て、本を読んでいて感じた、そんな自分の周りに無数にある不思議をきちんと拾い

①「なんでだろう」と思うこと


そしてそれを「調べてみること」

③「考えてみること」

④「心で味わうこと」

⑤「頭で味わうこと」

⑥「学びを自分の明日へ生かすこと」

世界を面白がり、人間を面白がれる。
そういう感性は、人生を豊かにする上でとても大切!と思って日々過ごしている。

机に向かう習慣などなくてよいし、何なら本当に学びたい時は机を離れる方が良い。
自分の身体で学んで欲しいではないか。
机上の空論とはよく言ったものだ。

何のために机で学ぶのか。
机上のお勉強の先に娘が何をみるのか。
それは娘の生き方が決めることであり、私たち親が干渉するところではないが、私は絶えず「知ることの素晴らしさ」をプレゼンしていきたいとは思っている。

たとえお勉強が嫌でも、知ることはとても面白いって、私一個人の考え方として提示していきたい。

しかし最終的には、娘の人生、娘のものだ。
何のために何をして生きるかは、彼女自身が決めること。
他人や親が彼女の選択や生き方にどうこう言うのはお門違いだろう。

本が読みたければ路上でも読める。
本を読むには本があれば良いのだ。

3.危機管理能力をつける

何が何でも自分の身は自分で守れるようにしてほしい。
自分が自分の身を守れなければ死んでしまうのだ。
現に、自分の身を守れずに他者から傷つけられてしまったり死んでしまう子供は沢山いる。

炎天下の駐車場の車内で。
保育園の送迎バスの車内で。
スーパーの駐車場で。
誰もいない公園のトイレで。
遊泳を禁止されていた夏の川や海で。

大人は簡単に子供の存在を忘れて置き去りにするし、他人の子供を自分の物のように扱う悪い大人もごまんといる。

就学前の子供に「悪い・怖い・信じられない大人の存在」や「無知ゆえに死んでしまった子供の存在」を提示するのはいささか気が引けるが、そんなことは言ってられない。

現代の子供は「死ぬか生きるか」という局面で「生きる」を選べるスキルを持った人間にならなくてはならない。

そもそも、その辺の大人が自分の子供を守ってくれたり見てくれたりする時代はとうの昔に終わった。

子供が適切に助けを求めなければ、大人は適切に守れない、そんな時代だしそんな社会なのだ。

娘が2歳になる頃から「子供が死んでしまった」系のニュースは全部共有している。
虐待系のニュースも勿論そこに含まれるが、躊躇なく共有する。
「大人にも色んな大人がいる」という引き出しを山ほど作っている。

(だからか、無邪気さと無防備さをあらわに、懐っこくペラペラと話しかけてくる見知らぬ子供を見ると、他人ながら「この子、大丈夫?」って思ってしまう。
考えすぎかもしれないけれど、娘に関しては「初対面の人には愛想良くするけど警戒心は解かない」ようにさせている)

ちなみに車の運転席に座らせ、どのボタンを押せばライトがつくとかクラクションが鳴るとかは、2歳になってすぐ教えた。

散歩をしている時に私が見ているものや確認しているものは、全て口に出して共有し同じように見せて確認させてきた。

駐車場は車が止まっていない端の方に駐車し、どこから車が来るか遠目で確認させ、耳で音を聞くことや視界がどれくらい狭いかを認識させた。

性教育も2歳から始めた。
子供ができるプロセスはenjoy the knowingでしっかり学んだ。
2歳相手に性教育を始めるなんて本当に腹立たしいが、現に保育園で3歳相手の性暴力が行われている現実があるのだから、やるしかない。
先生は選べないし、変わった性嗜好を持つ人間に見えるラベルが貼られているわけでもない。
性犯罪を犯した人間にマークがついているわけでもない。
無知だと狙いやすいのだ。
「無知であること」そのものが、危険を招く状態だと、私は思う。
これは子供が男の子だから、女の子だから、は全く関係ない。

ここには書ききれないくらい、あの手この手を尽くしている。
まだまだ親としてやれることはたくさんあるように思う。

そして何より絶えず「私はあなたを心から愛している。あなたを失うことはとてもつらくて悲しいこと」という愛のメッセージを、これでもかと伝えていきたい。

不意に娘に「生きるか死ぬか」が迫った時、私たち親が与えたこれまでの「お守り」が、どうか彼女を守ってくれたらと願っている。

4.挨拶をきちんとできるようにする

コミュニケーション能力というのは子供にはなかなか難しい話である。
子供時代は「懐っこい」がコミュ力と履き違えられるが、これは少し違うのではないかと思っている。

状況を見て、言葉や態度を選び、より良い行動を取れること。
相手の様子や言動から、相手の内面を汲み取ること。
そういう観察力と傾聴力、その上でどうするかという決断力、そして語彙力含む表現力が、このコミュニケーション能力としてまとめられる。

無邪気な天真爛漫が認められるのはせいぜい小学校低学年までである。
歳を重ねるとこの「履き違えたコミュ力」は少しずつ通用しなくなってくる。
「子供を武器にしたコミュ力」ではなく、後に生きてくるコミュニケーション能力を、幼い頃から意識して接していきたい。

そんなコミュ力の「いろは」で幼い頃から習慣化できるのもののもっとも重要かつ簡単なものが、挨拶である。

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」だけでなく
「ありがとうございます」「お先にどうぞ」「すみません」などなど、気持ちを手軽に、ちょっと表すことができるのがこの挨拶だ。

私自身は、単なる定型文として挨拶を捉えていない。
自分が他人に挨拶する時も、この挨拶を適当にしているわけではない。
本当に大切に、挨拶の言葉を口にしている。

この「ちょっと気持ちを表すことができる」というのが挨拶の魅力である。
挨拶を躊躇なく口に出せるというのは、自分の気持ちを表出させることへのハードルを低くすることにつながるのではないか。

人へ話しかけるきっかけにもなるし、自分の気持ちを少し小出しにもできるし、良い第一印象を与えるにしても効果を発揮する。
挨拶は大人になっても有効なコミュニケーションスキルだし、世代や性別、国をも超えて、老若男女、全ての人類に通用する。

この挨拶に関しては「挨拶しない人は大人でも子供でも私は嫌いだ」と娘に言っている。
この「ママが全て」的な幼少期に「ママが挨拶しない人は嫌い」と刷り込むのは大変手荒で杜撰で卑怯だと分かっている。
しかし分かりつつも、挨拶の重要性は何が何でも押さえておきたいので、他はこんな手荒な育児はしないが、挨拶に関してだけは、この手を使っている。

就学前と言わず、明日にでも磨いておきたいコミュニケーションスキルである。

「挨拶が素敵」と、挨拶で仲良くなったおばあちゃん宛に
引越し前、さよならの手紙を書いた

5.困った時に助けを求める方法と相手を知っておく

これは危機管理能力と関連づけられるとは思うが、「困ったことが起こった時」をしっかり想定しておく力は大事なように思う。
親がいなくなり一人になった時。
誰をどう頼るのが良いのか、どこへ逃げ込めばいいのか。

例えばキッズケータイを持たせて親が居場所を監視していたとしても「あれ、なんかおかしいな」と思う頃には時すでに遅し、みたいなことも多いように思う。
何はともあれ本人のとっさに危険を回避したり助けを求める力が大事なのだ。

日本はありがたいことに世界から見たら比較的平和で安全な国である。
だからこそ、娘が将来外へ出るときに大切なのは、まずはこの危険回避能力じゃないかと思うくらいだ。
困った時タイミングよくセントラルパークに逃げ込んでもブルースウィルスは助けにきてくれないし、助けを求めた良い人そうな人も、良い人に見えて実はそのバッグの中に銃を持っているかもしれない。

適切に助けを求める方法をしっかり就学前に教えられたらと思っている。

おわりに

ひとまず現段階で意識していることはこれくらいである。
ここから先の2年で少し事情が変わればまた方向転換したり、加えたり見直したりをしていくと思う。

しっかりと今後も、我が家なりの入学準備を行っていきたい。



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