家族ということ

「女は〇〇だから男は〇〇」「どうせ女は〇〇なんだろう。男は〇〇」なんて言葉を、悪意の有無関係なく浴びせられてきた。結局最後は骨なのに、何故決めつけるのか、見栄を張るのか、と常々思っている。

最近は祖父にも同じことを思い、祖母と昨日撮った写真を見ていた。
笑顔が無理やりだ。口角が上がってない。
祖父母と私で撮った写真なんて、グロテスクで見ていられない。私がふて腐れた顔をしているのは通常だが(元々人相がいい方ではない)、祖父の笑顔が屈託ないだけに、祖母の顔が余計に際立ってしまう。

祖母の買い物に付き添った際、
「今日、おじいちゃんに怒鳴られたの」
と言われた。
そんなの今まで1度もなかった。敷こうと思えばいくらでも尻に敷けるくらいの関係性だと思っていた。

「糖尿病による祖母の耳の遠さが原因で、何度も聞き返されることに祖父が苛立った結果、語気が強まる」という話は聞いていたので、まさかとは思ったのだが、そのまさかだった。しかも、祖父の介護をしてくれているヘルパーさんがいる場でのことだったらしい。

祖父は高校の教員だった。現場主義で、『経営側が嫌だから』と校長や教頭の座を蹴ったという話は、祖父の同僚であった恩師たちから散々聞いたものである。
しかし、あまりにも状況が変わりすぎてしまった。
定年退職後、心臓の手術を経て地域の旗振りおじいちゃんとして働いていたものの、同窓会帰りに転んで入院。そのとき若い男性に助けてもらったそうで、それが祖父のプライドを傷つけたようだった。長年生徒を導いてきた祖父にとって、若者に恥を晒したことが悔しかったのだろう。
そして、皺寄せが私や祖母にきたのだ。

卒業式の袴を着た孫娘に、「見栄を張るな」と言われる気持ちは如何ほどだろうか。その何倍もの屈辱を祖母は受け、萎縮して認知症の一歩手前まできていることを、祖父はどう思うのだろうか。
そんなことを考えている中、自室から出てきた叔父がこちらを覗き、戻っていった。

叔父は生まれつき顔に障害を持っている。そのせいなのかいつも家にいて、自室から滅多に出てこない。まだ何も知らない幼少期の私は、叔父の顔を見て大泣きした。それを朧気に覚えていた中学生の私は、とあるニュースに叔父を重ねてまた大泣きした。小さかったとはいえ酷いことをしたのだから、せめて謝罪をしたいのに。「見なくてもいい」と言わんばかりに、私から逃げるのだ。「私もいずれ貴方と同じようになる」と、腹を割って話したいのに。

学位記を見て、祖父は言った。「娘が父を越えた」と。心の調子を崩して大学を中退し短大卒となった父を、私が越えたと言った。

父の宝物は、心臓の手術を終えた祖父が残した留守番メッセージが入ったガラケー。

何があろうと肉親なのだ。残酷なほどに。

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