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毎年この日は家族を考える

あの日から毎年必ずやってくるこの日は、絶対に聴く曲がある。
good night | Every Little Thing

あまり周りに話すことはないが、数年前のこの日、私は幼少期の記憶の多くのシーンに登場する幼なじみを亡くした。
正確には、彼は私の幼なじみの弟で、私の弟と彼が幼なじみだった。同い年の子供が2人いる家庭同士、家族ぐるみの付き合いだった。一緒に家族旅行をしたり、お互いの家を行き来したり、相手の親に怒られて泣いたり…いつもは笑い話として思い出す記憶のあちこちに彼がいる。

正直大人になってからは殆ど会うことはなかった。けれど親を通して彼が今何を頑張っていて、どんな将来が見えていて…というのを聞いていた。身近に感じていた、とは少し違うが、「おばあちゃんの田舎で一緒に過ごした親戚」のような感覚を持ち続けて私はこの歳になるまで過ごした。

あの日は朝から同じニュースの繰り返しだった。朝食を食べながらそのセンセーショナルなニュースを聞き流し、いつものように出勤し、いつものようにランチを待ちわびて午前の業務をやり過ごしていた。報道関係の企業だったので、朝見たニュースの続報が随時流れていた。特に感情が動くことはなかった。

しかしランチ後だっただろうか、母からその事故に彼が巻き込まれて亡くなったというメッセージが入った。動転した私は慌てて母に電話したが、直接連絡を受けた母の方がやはり動揺しているようで、気を紛らわそうとしているのか全然関係ない話を早口でまくし立てていたのをよく覚えている。その後のメッセージも、普段の母なら言わなそうな弱々しく、語弊を恐れずに言えば人間味のある言葉が並んだ。

私はずるいので、どうしたらいいのか分からなくてまずはいつもの暮らしをそのまま続けた。終業までデスクで仕事を続けたし、予約していたお稽古にも行った。でもどれも上の空だった。

家に戻ると、いつも通り食事を用意する母、食卓につく弟。みんななんとか「いつも通り」を保とうとしていた。心を守る為の防衛本能なんだなと思った。しかし弟が「驚いた」と口火を切ったことでそれぞれが話し始め、話し合った結果、もう長いこと訪れていなかった幼馴染みの家を訪ねることにした。そう決めてからはまるで戦争前夜のように、ものすごい早さでそれぞれが無言で食事をとり、急いで家を出た。

意を決してチャイムを鳴らした時の景色を、私は一生忘れないと思う。
沈黙の後、私の幼なじみがものすごい勢いでドアを開け、私の母に抱きついて号泣した。初めて見る彼女のそんな姿だった。
横たわる彼から少しも離れず、彼のお母さんが声にならない声をあげて泣いていた。受け入れられないのにだんだん受け入れざるを得なくなっていることを、まるで避けているようだった。
行かせなければ良かったと繰り返すお母さんに、掛けるべき言葉なんて一生分の言葉を振り返っても、一つも見つからなかった。

「もしも、あの時に…」
そう言って 震えながら
涙に濡れた少女を どうか救って
- good night | Every Little Thing

みんなが集まっていたその部屋のテレビからは事故の続報が流れ続け、速報に私の幼なじみが声をあげて泣きじゃくった。やっぱり何も言えなかった。

どれだけの時間を過ごしたか覚えていない。母はサポートの為に幼馴染みの家に残り、私は亡くなった彼と同い年の弟と二人で家に帰った。空白を埋めるようにポツリ、ポツリと言葉を交わしながら。弟自身も私も、どうしても彼と弟を重ねてしまっていた。あまりに酷かった。

彼は本当に大切に育てられていたし、本当にどこを切り取っても優秀だった。こんな言葉はお粗末だが、あまりに輝かしい未来がすぐそこまで来ていた。それを突然失うということが、私には理解できなかった。
彼はもしかして気づかずに人生を続けているのではないか、それがどうしても私たちに見えないだけなんじゃないか、そう想像してみる。ものすごく怒っているだろうか、絶望しているだろうか、実はすぐそこで泣き叫んではいないだろうか、そんな不安に駆られる。そして、「寒くなかっただろうか」「怖くないだろうか」…。
ありとあらゆることを考えたけれど、どれも目の前の状況にハメ込んで言語化できるものは無かった。そして私自身も受け入れられないのに思考が受け入れた上で物事を考えていて、心と頭がバラバラになっているのを感じた。

誰にも言えずに 長い夜を ただ ひとりで
どんな想いで、 どんな想いでいただろう
- good night | Every Little Thing

祖父を除いてこんなに身近な人を亡くしたことは無かったし、こんなに若い人をこんなに突然失ったこともなかった。生まれて初めて、そのあと長い間ふと思い出して涙が溢れるという経験をした。頻度は減ったものの今でも続いているし、彼の命を奪った事故に関連するキーワードに近づくことができなくなった。

「安らかで」なんて言葉が腹落ちする日が来るなんて想像もしたことがなかったが、少し落ち着いてから心の底から願ったことは、「どうか暖かいところにいてね」「平和の中にいてね」ということだった。

私は毎年この日にgood nightを聴き、あの日の光景に重ねて鮮明に思い出し、少し苦しくなる。でも、絶対に忘れないように毎年繰り返す。
そして、家族について考える。人生は平等なんて嘘。いつその体温が奪われるかなんて分からない。だって、彼はもう家に帰れないことなんて想像しないでいつも通り出発したのだから。あの日のまま、彼とその家族の時計は止まったままなのだから。
子どもの頃は家族が家から出かける時は「もしも」を思って絶対にお見送りをするタイプだったが、あれは間違いではなかった。

いつ失っても後悔しないように、なんて自己中なヨコシマの発想だが、それでもいい。家族を大切にしたい。その体温を失いたくない。冷たくなった彼の頬に触れた感覚を思い出す、毎年寒いこの日は、そうやって家族のことを考え続ける。

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