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こうして私は、なんで生きてるのかわからなくなった

ついに私はわらじ荘に住まないことになりました。今は車中泊をしたり、キャンプをしたりします。でもメインはもーりーさんというおばさんの家に居候させてもらっています。猫がとてもかわいいです。あとご飯が本当に美味しい。心も体も暖かくなります。

「わらじ荘」と言う場所を出るにあたって、今までのことをここに残しておこうと思った。だけどわらじ荘は要素がありすぎて、綺麗な言葉にできないのだ。暮らすということ・働くと言うこと・活動する・地域と関わる・人を知る・・・・もっとあるもっと、もっと沢山。何をここで書けばいいのかわからない。でも今回は、まとめようとしないことにする。この家への私の気持ちを整理するためにただ書き殴る文章でいこうと思う。誰かの背中を押すものでもなければ、誰かの何かになる文章でもない。今回ばかりは自分の自己満でいこうと思う。もしこの自己満に付き合ってくれる人がいたら、この下も読み進めてほしい。

〜「荘」を知らない人に向けてあらすじ〜
函館市に住んでいる普通の大学生3人が、弁天町の古民家を借り、暮らし、なんか変なことをし始めたようだ。当初は函館に暮らす学生が、地域とゆるく関われるきっかけになる場所を目指していた。一階を地域に開いて地域で面白いことをしたい!みたいなそんな場所を目指したいた。しかし、活動よりも、暮らすということの難しさを知った。暮らすことで人との関わりを感じて、嫌になった人。仲良かったのだけど、喧嘩した人。そんな日々が毎日続く家。当たり前だけど20代前半の育ち盛りの心も体も、自分でコントロールしにくいそんな時期に、同い年の人たちと一緒に住むのだ。そんなの難しいよな。そして、活動したいとうちに来る人もいて。いつしかそんな暮らしたい人と活動したい人が混合するようになった。なんでもできる場所だけど、いろんな葛藤があってとにかくバランスを取るのが難しい家での毎日が刺激的で、複雑な1年半の家に住みながら、代表をやっていた私が、どう過ごし、どう感じていたのかを書いていきます。はじまりはじまり〜。

そういえばなんでわらじ荘に住んだんだっけ?

わらじ荘が始まった当初、私は付き合っている人がいて同棲していた。というか、家に転がり込んでいた。もうこの時点で一人で生きることが怖かったんだと思う。家に帰ったら誰かがいるのが安心した。カーテンを自分が開けなければ絶対に開かない世界が怖かった。いつの間にかカーテンは開いていて欲しかったし、自分以外の洗濯物や食器など、汚いものが転がっているだけで生きてる心地がした。

誰もいない家に篭っていると私は一気に人間ではなくなってしまっていた。ケータイだけをみて過ごす一日。通知もオフにして過ごす土日。そんな土日だから平日は頑張れなくて、そんな自分を見るのが怖い。だから、一人で暮らしたくないのだ。

そしてわらじ荘に住むことが決まった時、みんなが住んでいて、自分も住まなければと思った。住まないと代表として務まらないと思って、付き合っていた彼氏と別れた。とても乱暴な別れ方だったなと思っている。もしこの記事を読んでいたら、彼の幸せを心から祈っているよと伝わったらいいな。そうやって住むことになったわらじ荘。毎日が酒場だった。でも私はお酒の場が苦手だ。ワイワイ賑やかな感じに入りたくない、群れたくない自分がいる。だけどそんな自分を殺して私は楽しんだ、ふりをした。

イベントの本当の意義とは

この家を借りるときに、地域の活動をしたいと大家さんに言った。大家さんは快く貸してくださった。私は、地域の活動はイベントだったり、盛り上げだったりそんなものだと思った。だけど、本当に必要とされているものかと言われたら少し違った。

だけど、テレビや新聞に取り上げられるからと、期待されていると思った。だから頑張ったんだけど、一方で住んでいる人は疲弊していた。楽しくなさそうだった。

私もたのしいかと言われたら楽しいけど、面白いかと言われると不思議だった。表面的だと思った。だから、しばしおやすみをした時もあった。

でもそんなイベントでもやってよかったと思う時があった。それは、イベントが終わってから、うまれる井戸端会議だった。特にわざわざ声を大にして話すようなことじゃない小さなお悩みを話す時。その時が一番やりがいを感じた。実は考えていることが人間には、みんなあるものだなと思った。いろんな人の相談を聞く機会を作れていることは意味がある時間だった。

365日24時間カタツムリ生活

それから多くの人があの場所に来るようになった。とにかく、わらじ荘に来る人に対応しようしようと頑張った。だけど自分にも自由があるはずで、いろんなところに行きたいよ。という気持ちだった。でも「わらじ荘に行ってもいいですか?」は後を絶たない。もちろんいろんな人がここをサードプレイスとして使ってくれるのは嬉しいけれど、私にとっては家というファーストプレイスなのだ。家に出られない。家がバレている。だから家で待つしかない。そんな恐怖感が私を襲うようになった。そして寝る前に話を聞けば、夜中まで起きてなきゃ行けなかったし、でも次の日の朝はまたここに来客が来る。睡眠時間って何時間がベストなんだっけ?わからなくなった。目の前の人間関係のこと・あの子の将来のこと・あの人のまちづくりへの思い。毎日毎日私は考えた。無理やり頭をぐるぐるさせて、わらじ荘に自分を縛って人の話をとにかくたくさん聴いた聞いたきいた。

しかもそんな自分にありがたいことに、アニメ製作やフリップ製作などグラフィックデザインの依頼が来るようになっていた。それには全て締め切りと言うものがある。だけど家に帰っても人が来てるか人が悩んでいるか。そして事件が起これば必ず私が駆り出される。笑 結局、人の話を聞いていたら製作の締め切りは迫ってきて、夜中みんなが寝ている間に私は仕事をするようになった。

朝起きてから寝るまで、寝てから朝まで、全く休めなかった。常に交感神経が頑張っていた。副交感神経というものは何処かに行っていた。息が浅くなり、呼吸なんて概念はずっとなかった。でもずっと引きつった笑みを浮かべていた。笑

そのことで学んだことも沢山ある。(いや、むしろそれが今の自分を作っているのに、気づかなかったんだよ、私はあのとき焦っていたから。)人間が生きるってことはどういうことなのかなとか。元気に見えるあの子も、実際はこうだよなとか。人の苦い部分をみることになった。人との誤解だってちゃんとお話しすれば、誤解なんて解けるんだなとか。とにかく、とにかく、生きる人と一緒に生きた。どうやって生きていくのかわからんって人も話を聞いていれば問題なかった。

人の弱々を許容できなかった自分。そんな自分が嫌いになる。弱いところを私はなぜ許容できなかった。ああ、そのできない自分を受け止めてあげたい。でも、「荘」的にはそんなのじゃダメなんだよ。とか考えてた。活動していることがすごいと言われるこの社会で、何かを生産している方が正義だとされるこの社会に、自分は知らず知らずに、いいなりになっていたのかと思ったりもする。

人がそのままで良い、そのままがよいと思える瞬間ってどんなこと?瞬間っていうか、なんか、キラキラすることだけが、生きてるってことじゃないよな。そういうことじゃ、ないんだよな。でもな。。

人と関わることは、人を知ることで、人のことを愛し、人に愛されることなのかもしれない。自分は何を愛して生きていくのか、わからないな。

だんだん、自分がわからなくなっていた。一人の人間ではなく、誰かというか、家と一体になっている自分がいた。むしろこの家を背負っている、カタツムリみたいな生活を送っていた。笑

個人的には、受け止めたい、みんなのゆるゆるなところ。でも、求められている「荘」はそれじゃダメだ。苦しい、苦しいよ。

みんなとやらなくていい 一人でもすごいのよ

私は去年の8月くらいから家を出たかった。(現在は2021年5月)だけど、正直、家を出たら「荘」が崩れるのが目に見えていた。いろんなことがゆるゆるだった。地盤がゆるゆる、骨組みはボロボロ。私はどうしたらいいのかを考えた。いや、考えなかった。話した。とにかく、私はこうしたい。あなたはどうなの?どう思う?お腹痛かった〜〜笑でも、わかってくれる人がほとんどだったし、相手の気持ちも憶測で話さなくなったからもやもやすることは少なくなった。そしてだんだん組織ができてきた。少人数の人だけがやっていた運営ポジションがだんだん増えてきて、みんなが主体的に自分の家の管理ができるようになってきた。嬉しい。これは本当に嬉しかった。当初は私しか光熱費のことや団体組織とかわからなかったし、苦しかったけど、ここまできて多くの人が運営できていることに本気で喜びを感じている。だから、今なら出ても大丈夫って思った。それが2021年の4月。

だけど出ることに少しの罪悪感を感じた。なんか逃げている気がして、苦しくなった。寒さからなのか、人間関係からなのか、わからないけどなんか苦しかった。

そんな時、私の一個上の大学時代の先輩のお母さんが、私に会いにきてくれた。会うや否や、そんなに話したことないけどぎゅうって抱きしめてくれた。そして「頑張ってるね〜いつも見てるよ、でもね。一人じゃないっていうけど、人間みんな一人だから。みんなと一緒にがんばらなくていい。一人の力って大きいんだよ。一人でも十分すごい。」ってささやかれた。目の前がぼやけてきて涙が溢れた。はじめてそんなこと言われた。私は一人なことは悲しいと思っていたし、寂しかったし、みんなでやる方が良いと思っていた。だけど、私一人でいいんだ。一人でもすごいんだって隕石落とされたくらい、びっくりした。

生きてる意味が分からなくなった

5月になって、わらじ荘を出た。そして、車の中で寝た。たくさん時間ができた。今まで禁じられていたこと(自分に課していた禁止事項)をたくさんした。まずはキャンプだった。それから絵を思いっきり書くことだった。ずっとできなかった家で一人で篭ること、誰も入ってこない部屋で本を読んだり、スマホのネットサーフィンを頑張った。新しい知識、深めたい思考。自分は満足した。しばらくそんな生活をしていた頃、12時間くらい寝て起きた時、なんで生きているのかわからなくなった。朝から晩まで何もしなくても1日がすぎていく。呼吸をすれば1秒経つ。ちょっと長く呼吸をすれば5秒くらい経つ。それを24時間繰り返せば、丸1日生きられる。生きること、簡単だなって思った。だから、何を社会の皆さんは頑張っているんだ?って思ってしまった。そして、なんで自分は今まで頑張ってたんだろう?馬鹿みたいだ。と思った。生きてる心地はしなかった。このまま死んでしまってもいいと思った。頑張って生きても、頑張らなくて生きても生きてる時間は変わらない。だから、生きても生きなくてもいいと思った。そもそもなんで自殺したらみんなに嫌な顔されるんだろう。どう生きるのか?とかなんで生きるのか?とか言われるけど、それは全部生きることが大前提なのは意味わからないと思った。死ぬっていう選択肢ってなんでないのかなって本気で考えた。あえて大衆向けのカフェに行って、どうせ死ぬのに、コロナにかかることを恐れて今を楽しめていない人とか、日々スーツをきて、嫌な仕事に行く社会人とかを冷ややかな目をしながら横目でみてみた。

自分のために生きろっていうけど、自分のために生きるのってつまらなかった

その時、私はわらじ荘はつまらなくなかったことを思い出した。迷っている人が来て相談に乗るのは楽しかった。人間関係を目の当たりにすることは嫌いじゃなかった。私は、わらじ荘を自分のためにやっていないことに気づいた。このわらじ荘を通して自分のための場所にしたいんじゃなくて、誰か人生に迷っている人が、何かを求めている人がここを利用して欲しいと思った。人と関わる中で、めんどくさいけどあったかいものをここで感じて欲しいと思った。その中心にいるのは自分じゃなかった。それが実は心地よかったんだ。

確かに古民家で暮らしてみたい。一階を開いたお家があったら面白そう。動機はそれくらい単純で、すっごく軽い気持ちだった。自分の興味本位だった。だから自分のためにやってると思っていたから、他人のためになっている、他人の犠牲になっているような自分が嫌で、わらじ荘を出たんだけど、そうなると私が生きる意味が分からなくなってしまった。結局、私はわらじ荘を通して、誰かのためになって、それが自分の生きがいだったんだな。ふむふむ。

それからもっと深く考えた。私はこの人生を終えた時、ここで自分が自殺をしたら、困るのは誰かと考えた。誰も困りはしないけど、あの子が悲しむだろうなとか、親は泣くだろうなとか、あの人は生きがいをなくすかもしれないなと思った。

私が生きる理由は、私のためではなく、私の周りのまだ生き続ける人のためだって気づいた。だから私は、必死に誰かのために動いていたんだ。この生きる理由とか、生をもらったことに目的なんてない人間という生き物たちが、かけがえのない日々を少しでも笑顔で過ごせるように、自分が死んだ後も次の世代の誰かの心に残るものはなんだろう?と考えた。

はじめて自分は他人のために生きる自分を肯定した。

自分のためだけに生きる自分が正しいと思ったけど、他人のために生きる自分が、自分のためなんだって、気づいた。だから、私はすごく今、すっきりしている。生きよう。今周りにいるあの人のために。これから出会う誰かのために。

私は、生きるということ、死ぬということについて考えて、はじめてやっと何に命を燃やしたらいいかわかった。だから、これからもわらじ荘の運営はまだまだ頑張りたい。住まなくてもできることがあるからね、そしてまたくるもやもや星人の話を聞いていきたいと思った。

何も目指さない「荘」

そして、改めて「荘」について考えた。この町で、どんな場所が函館市に必要なのだろうかと。ここに来る函館に来ちゃったとか言って、昔の自分みたいに後悔している学生にとってどんな場所だと嬉しいのか考えた。そしたら、それは誰かの居場所だったり、心のよりどころだったりした。

当初の「実践できるところ、とか表現できるところ」とかそういう強い感じのものは今のわらじ荘には似合わないと思った。

そんなものを作りたいわけじゃなかった。私は、人間のもっと奥底にある、触れにくいもの、だけど大切で、弱くって、でも暖かいところ、そんなものを支え合うようなそんな場所を作りたいと願った。そうならないかなと思っている。だから、一階を開けなくても、シェアハウスだけでも十分だった。人と暮らすだけでも、十分ここはすごい機能を持ったところだと思った。ああ、こんなこと思わなかった。こんな結論になるなんて全くもって思わなかった。私はもっとガツガツした場所を作りたかった。頑張るプラスのエネルギーが舞うようなそんな場所を作りたかったけど、そんな場所を作っている人はみんなみんなそんなに生き生きしていないって知った。みんな心に弱さとか、傷を持っているものだと暮らしてはじめて知ったのだ。

私は、そんな人々に必要なのは、頑張る場所じゃなくて、その人の存在を肯定する場所だった。そんな、それとないもの。そんな感じのもの。無理しなくてもいい場所。ただ居てもいい場所。そんな場所を、私はなんとなく目指すことにした。

そのために、私が住むと変に重みを自分で背負ってしまうから、出て正解だったと思う。

これから、私はよりシェアハウスという機能を持った、ヘンテコだけど、普遍的なそんな、なんとなくな場所を作ることに専念しようと思う、そのためには、お金が必要で。そのお金はシェアハウスだけでは回らないから、私はいろんなところを飛び回ったり、「荘」とは別でキャッシュポイントを作ることにした。私は、この「荘」を続けたい。この場所をなんとなく、必要としてくれている誰かのために。そして、自分が生きるために。






いただいたものは、全て大切なひとに、そしてまちに、使わせていただきます。