くだらなさの良さ

土屋賢二は1990年代〜2000年代ごろに週刊文春に滑稽なエッセイを連載していた人で、当時お茶の水女子大学の教授として哲学を教えていたことでも知られる。彼のエッセイは持って回ったようなとぼけた語り口、威張ってると見せかけて結局は自分の足りなさを自嘲してみせるような文章を持ち味としていて、個人的には町田康のエッセイと共通する部分があると思う。

著者紹介のところから既にふざけている。
エッセイ本文はどんな感じかというと

多くの人が抱いている最大の不満は、「だれも自分を正当に評価してくれない」というものではないだろうか。(略)不思議なことに、この不満をもつ人は、わたしがそうだからよく分かるが、「正当に評価」されたら困るような人たちである。こういう不満を訴えてもだれも相手にしないからいいようなものだが、それにしても、なぜ正当に評価されかねないような危ない橋を渡るのだろうか。
 わたしはこの問題に取り組み、考え抜いた末、一つの答えをえた。十分考えただけなので、まだ細部をつめていないが、わたしはこういう問題に答えを出すのが得意である。とくに間違った答えを出す点では人後に落ちない自信がある。
(ツチヤの軽はずみ『特別な存在』p.183より)

といったあんばいだ。このくだらなさが好きで、土屋賢二の文は定期的に読み返すようにしている。最近は多くの人が読書感想文をネットなどで公開しているが、たいてい意義深い本や趣深い本や実用的な本に偏っているので「くだらない本を読みたいときに読む、とっておきのくだらない本」についてもぜひ紹介してほしいと思っている。

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