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「若いうちにやっとけ」に翻弄されない

毎日が穏やかに過ぎていくのはよろしくない。俺はなるべく日常に変化があって、自分にも変化がある状態を求めている。そういう意味で、類人猿分類的に言うとオランウータンの気質がしっかり残っているのだなと分かる。

※類人猿性格分類についてはこちら
https://note.com/ann_ann/n/ne5729c6d5024

1年前の自分と比べると、内面も外見も違う。それが楽しいし、生きがいでもある。自分を変えるために日々行動していると言っても過言ではない。

「若いうち」に追われる惨めさ

よく「若いうちに色々やっておかないと後悔する」とか「大学のうちに遊んでおかないともう遊べる時間はない」とかいう。若さはそれだけで何にも代えがたい財産なのはよく分かる。そして、多分俺はそれをかなり意識しているほうだ。変化を求める気質と合わせて、自分を動かす原動力になっている。

しかし、若さに追われている自分、というのは惨めでもある。自分の行動の動機が内発的ではなく、外発的だからだ。
今まで、外発的な動機に翻弄されてきた人生だった。高校時代に手痛い失恋があったが、それは周囲の友達や読んでいた漫画による「外発的な」恋愛感情が湧いたからで、自分の純粋な恋愛感情ではないということに気づいた時は結構なショックだった。失恋の原因は他にもたくさんあったのだが、そのことに気づいたから冷めてしまったのもある。
確かに若いうちにしかできない事もたくさんある。だからと言って若者がやりそうなことになんとか着いていこうとするのも馬鹿馬鹿しい。自分がやりたい事だけやっていればいいじゃないか、という気持ちもどこかにあるから、難しい。

全ての動機は内発的になりうる

ただ、人間の判断や感情なんてそんなものなのかもしれない。所詮外発的な動機付けによって決定されている動物としての側面があることは否めないのだ。それは、例えばサブリミナル効果が実際に人間の購買欲求を左右している実験結果から分かる。
複雑な思考をしているとはいえ、脳の仕組みを分解していくと思考は単純な電気信号のやりとりだ。その電気信号が外からの影響を受けることは阻止できない。


ただ、だからといって自分の意志というものを完璧に否定する気にはなれない。電気信号の集合のどこかに、自分の意志があるはずだと信じている。それこそが内発的動機であり、自分が追い求めているものだ。
また、仮に自分が下した判断や生み出した感情が外発的動機づけによるものだったとしても、それが「自分のもの」だと自信を持って言えることができれば、それは内発的なものに変化すると思う。外発的動機によって生じた自分の判断や感情を、一度自分の脳というフィルターを通すことで内発的動機とみなすことができるはずだ。


おや、そうすると全てのものは内発的動機になりうるな。ここから分かるように、大事なのは一度自分の中で咀嚼する事だ。脊髄反射的に外部からの刺激に反応するのではなく、一度自分の中でそれが自分にとって意味のあるものなのかどうかを判断する。それから行動すれば、内発的なものとして自分も納得できるようになるのではないだろうか。


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