見出し画像

クリスマスカードで思い出したこと

ある朝、「ラヴィット!」を観ていたらクリスマスグッズ特集をやっていました。
(ラヴィット!緩くて好きです。)
おすすめクリスマスグッズランキングの1位が、進化系クリスマスカード🎄
進化系クリスマスカードというのは、音が鳴ったり、カードを開くと立体のツリーなんかになってそのまま飾れる、
とても豪華でかわいいクリスマスカードのことなんです。
私は、この進化系クリスマスカードをよく祖父母にいただいていました。
でも、当時の私は嬉しいどころか、少し悲しい寂しい気持ちになっていました。

私は、昔ながらの「円満な家庭」とは言えない環境で育ってきました。
20年弱生きてて、引越しは4回、祖父母宅にお世話になったこともあります。
祖父母は嫌な顔せずに受け入れてくれて、一緒に住まわせてくれました。
SNSで見るような、すごい嫌がらせとかされたことなんて無いし、私は感謝しなければならない立場にある、というのは重々承知しています。

小学生から中学生くらいにかけて、
クリスマスになると、祖父母からクリスマスカードを貰っていました。
それが先述の、進化系クリスマスカード。
進化系クリスマスカード、物が豪華ゆえに、
メッセージを書くところがすごく少ないことが多いんです。
毎年クリスマスカードを貰うけど、メッセージの所をみると、一言二言、当たり障りの無いことが書いてあった、
途中からはもはやメッセージが書いてなかったことを覚えています。
私は、それが悲しくて寂しかった。

私には、大人になっても心に引っかかっていることがあります。
それは、
「肉親だから、という理由で面倒をみてもらったことはたくさんあるけど、
人として、内面をみて、私に話をしてくれた人はほとんどいなかった。」
ということ。
血の繋がりがあるから、家に居させて貰ってるけど、
体の中にある「私」には全く興味がなくて。
孫という肩書きを捨てたら、私はこの人達にとってなんなんだ?
祖父母の行動は愛じゃなくて義務なんだろうか?
と、モヤモヤ考えていたこと。
一見一緒に暮らしていても、世話をしてくれていても、
彼らは私のことをほとんど知らなかったし、
知ろうとも思っていなかった。
それが、私を寂しくさせていました。
いわゆる、自己肯定感的な、そういう所が満たされないような。

当時貰っていたクリスマスカードと似たものをみて、
クリスマスカードが、やたら可愛い豪華なやつたけど、
しっかりメッセージを書いてもらったことはない事実を思い出しました。
祖父母に悪気は無かっただろうけど、
ちょっと高いかわいいの買えばいいんでしょ、感が否めなくて…。
同時に、今となってはそれが、彼らの私に対する認識を象徴しているように思えてしまった。

私は、人として私のことをみて、話をしてくれる大人が欲しかったんだろうと思います。
クリスマスカードも、どこの誰に送っても問題ない短いテンプレ文じゃなくて、
可愛いカードじゃなくていいから、
私のことを思った、心込めたメッセージが欲しかった。

家庭に関して、酷く大変な思いをしてきた人はたくさんいて、その方たちを思うと、
私のこの感じたことはものすごく甘えてるし、贅沢なことだと想像できます。
私自身、状況を変えようと具体的に行動した事もないですし。
こんなことで文句言う資格も無いでしょう。

でも、私と似たようなことを思って、まぁでも大した事じゃないし、誰にも言わず何年も経っている…なんて人が、
他にも居るかもしれないし、、、と思い、書いてみました。
居なかったとしても、こんな風に思う人がいるんだ~って軽く受け止めて貰えたら嬉しいです。

以上、クリスマスカードで思い出した、
私の少し悲しいことでした。

(画像お借りしました。ありがとうございました。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?