他人の不幸は蜜の味がするドラッグ

人の不幸をみて安心したり優越感を抱いたりしていると、その不幸者が幸福になった瞬間気が狂うくらい自分の人生が灰色になると思うよ

ギャップに弱いってのは恋愛でもよくいうけど、多分どんな性質に対しても言えることだろうな、ハッピーな意味ばかりじゃなく、例えばFacebookでみんなが楽しそうにしている、自分も同じくらい楽しそうな写真を載せて元気な絵文字を散りばめた文を書いている時はいいけれど、ふと何も載せるものがなくなった時、なんとなく予定が立たずダラついて家に一日いたとき、そんなもんを見せられると喉の奥を引っこ抜かれたような息苦しさを感じる。
これはたぶん'本来なら自分だってあんなふうにワイワイやってるべきなんだ、あれが私の求める姿だ'って頭に浮かべてるからなんだろうな、もし一人で神保町の好きな古本屋を覗きに行って、本より安いうどんでも啜って、街を散策しているのが楽しいなら、いくらSNSを見たってなんの息苦しさも感じないもんな、
現実と理想のギャップというのだろうか、ただそれが本当に自分の思い描く'理想'ならよいのだけれど、べつにそれが理想じゃない人も実はたくさんいるんじゃないのかな、
ゆっくり昼過ぎまで寝て、起きて枕元の本を少し読んで、熱いコーヒーを胃に入れて少し出かけて、
こんなゆったりとした自分だけの時の流れを味わう日々が好きな人、これだけが好きとは言わなくても必要な人、もうほとんどが当てはまると思うんだが、
だが、SNSがその平穏個人時間の抽出を阻害してくるんだよ、かわるがわる濁流のごとく押し寄せてくるトモダチの情報は、あたかも24時間全員がその上っ面キラメキ生活を過ごしてるかのように演出してくる、登場人物が多すぎて順番に休憩していることに気付けないんだ、

少しゆっくりしようよ、ホッとさせてくれよ、もう好きな人たちが楽しそうにしている姿で苦しみたくないよ、

お一人様の特効薬は開発中ですか、少なくともAIには理解されないだろうなぁ。

#お一人様 #日記 #SNS

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