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老人の消えた街

この世界が滅びかけてから50年、街は見事に復興した。
静かに広がるうろこ雲と、緑豊かな街並み。誰が災厄の爪痕に思い至るだろう。

避難所で世話になった婆さんは、ある実を食べて生き延びたと言っていた。私もほんの小さい頃、食べた事がある、はずだ。
ふと、口一杯に広がる濃厚な甘味を思い出す。
名も知らぬあの実。もう一度、食べたくて仕方なかった。

だが今や、樹木は人工的に作られた物。もう天然物は見られない。
あの実は完全に姿を消した。婆さんや両親が生きている間に話を聞いておくべきだったかな。

ネットには新しいクラウドが構成されて、オールドウェブの情報は失われた。
「そりゃ過去の遺物だ、じいさん。諦めて未来へ向かえ」
若者に聞いても、すげない返答。
それもそうか。昔の悲劇なんて誰も興味ないものね。

とぼとぼと家に帰る。幼い頃に頬張ったあの実。
自分の記憶を頼りにしても、確かな像を結べない。
形も色も忘れてしまった。時々、自分の痴呆を疑う。
恐ろしい事だが、そうなれば終わりだ。

食わずに死ねる?
自問の即答はノー。
私は手に馴染んだ果物ナイフをホルダーに差した。
身支度を整えて家を出る。
太陽が輝いていた。

続く】(490字)


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