港区麻布台・再開発で姿を消した3坂
現在港区では、2023年3月31日竣工予定の「虎ノ門・麻布台プロジェクト」(虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業)が進められています。
2019年8月の着工を前に、対象エリアが立ち退きによってゴーストタウン化していることが話題にもなりました。
こちらがプロジェクト概要(素案)です。
(出典:『都市再生特別地区(虎ノ門・麻布台地区)都市計画(素案)の概要』森ビル株式会社)
2019年4月のストリートビューでは、まだ残っている建物もあり、取り壊しで封鎖されている箇所が多いながらも、エリア内の道をたどって状況を確認することができます。(画像は落合坂)
2020年1月現在の状況
年明けて2020年、もう辺り一帯には入れないだろうなと思いつつも、もしかしたらと、かすかな期待を抱いて現地を見てきました。
結論から言うと、もう何も残っていませんでした。
麻布台1丁目のほとんどと、虎ノ門5丁目のほぼ半分、その中にあった建物も道も全部なくなっていました。
もちろん一帯は封鎖されていて入ることもできません。
着工からほぼ5か月、当たり前と言えば当たり前の光景なのですが、こうして実際の現場を見ると、なんともいえない気分になりました。
再開発対象エリア内にあった坂
立ち退きゴーストタウン化が話題になった頃、このエリアに残る昔からの坂が消失することも多く指摘されていました。
地形的に坂が多いこの界隈、ピンクで囲った再開発対象エリア内には、4つの坂があります。このうち、赤字の3坂(行合坂、落合坂、我善坊谷坂)が今回姿を消しました。
(それぞれの坂については、『東京23区の坂 港区の坂 麻布台方面』に詳しい説明が書かれています。)
行合坂
行合坂は、首都高下の車道に並行した下って上る坂でした。
(画像は2019年4月のストリートビュー。まだ坂は封鎖されていません。)
2020年1月現在、坂は封鎖され、右側の車道に仮歩道ができていました。
ストリートビューで見えている「スクール」の文字の先で、道がばっさり切られています。
先の方の麻布小学校(左の白い建物)へ上る側は、画像ではわかりにくいですがまだ坂の形状が残っていました。坂道の壁もそのままです。
麻布小学校側から見た行合坂。
工事車両が出入りするのか、写真の手前で封鎖されて入れなくなっていました。小学校から飯倉片町方面は、再開発対象エリア外になっています。
前出の森ビル資料には、急勾配の道路を解消して歩道環境を整備するために、行合坂を嵩上げすると書かれています。
坂自体はなくなってしまいますが、現在残っている麻布小学校前の標柱は、モニュメント的に残してほしいなと思いました。
落合坂、我善坊谷坂
落合坂、我善坊谷坂はすでに建物と共になくなっていました。森ビル資料の「細街路、木造密集地の解消による都市環境や防災性の向上」に、細街路として我善坊谷坂の画像があがっています。
落合坂はエリア内では一番長く、勾配も穏やかだった記憶があります。
坂の途中には、横川省三記念公園もありました。
(2019年のストリートビュー。)
我善坊谷坂は、永井荷風の『断腸亭日乗』に「我善坊の細道」と書かれ、荷風が飯倉方面に下る際によく通った坂だそうです。
(かつての我善坊谷坂の坂上。2017年のストリートビュー)
三年坂
エリア内で唯一残される三年坂は、現在手前で封鎖されています。
森ビル資料には、「地形を継承する緑化空間の整備」の一環で保全されるとあります。この一帯は宗教関連施設が集まり緑も多く、まとめて再開発対象からははずれたのでしょう。
現場に貼られていた地図では、三年坂も廃道(赤線)になっているので、現状のままでの保全ではないのかもしれません。
港区の再開発
港区では、この虎ノ門・麻布台地区以外にも、多くの第一種市街地再開発事業が立ち上がっています。
虎ノ門駅まで歩いてみましたが、あちこちが取り壊し中、工事中でした。
ちょうど1年前に、取り壊し直前の渋谷区桜丘町を見に行った時にも思ったことですが、今回も再開発ってなんだろう、どこに向かおうとしているんだろうと考えさせられました。おそらく、高度経済成長期の都市開発を見てきた人たちも、同じような感情を持たれたのではないでしょうか。
都心部は、高さを競うかのようなガラス貼り高層ビルの林立で、どんどん画一的な景観になっていくような気がします。
現在の再開発の波が終了した時、東京はどんな姿になっているか。見てみたいような見たくはないような、複雑な気持ちです。
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