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どうしてアナタは怪談が好きなのか、明確な理由をこたえられる?

突然だが、僕は怖い話が好きだ。

ハッとするような伏線がある物語仕立ての怪談も好きだし、最後まで不気味な物の正体もわからない不思議な話も好きだし、一定の法則でシステマチックに動く怪異が登場する話も好きだ。

でも、自分が怖い話が好きな理由は……と考えても、説明が付かない。

もし、これを読んでいる君たちが『怖い話が好き』ならば一度考えてほしい。君が怖い話を好きな理由は何だろうか。

怖い話が好き、というのもよくよく考えてみればおかしな話である。楽しい話が好き、感動する話が好き、これはまだわかる。自分の心を良い方向に導いてくれるのだから。でも、怖い話を聞いても、残るのは『怖い』という感情だけ。プラスの影響どころか、その後の生活に支障が出るようなマイナスの影響が残るわけである。ちなみに僕は映画の呪詛を見た後に2日間ロクにお手洗いに行けなかった。

しかも、怪談が好きな人は、多くは怪談に対して『怖い』という感情を抱いているものだろう。だって、怪談が怖くないというのは、笑い話に笑えない、感動する話で心が動かない……というのと同じなのだから。怪談を怖いと思わないけど好き、というのは相当な変わり種に感じる。

言い換えれば、怪談が好きな人は恐怖することを自分から求めに行っていると言える。文字起こしするととんでもない変態みたいだが、僕はこれに似た事例を一つ知っている。それは、辛党の人間だ。

辛さとはそもそも痛覚を刺激する痛みである。辛い物を食べた人体は、その痛みを和らげるために快感をもたらす物質であるβエンドルフィンを出す。辛いけど美味しい!というのは、脳が人体を保護するために出している分泌物を、食物による快楽と誤認しているから起きる現象なのである。

そして、恐怖も同じである。恐怖と快感は同じ脳の部位から生まれるといわれている。つまり、ホラー好き各位が怖い話を好むのは、恐怖と快楽を誤認しているからと言えるのだ。

でも、そんな脳のロジックの話をしても面白くないので、もっと精神的に寄った話をしてみよう。

怪談が好きな人は、どことなく今の人生・生活に退屈を抱いているのではないだろうかと思う。モノも関係性も、全てが人間の摂理だけで動いている世界への無意識な反抗心、或いは諦念があるのだろう。

それ故に、新しい刺激を求めるのだ。世の中のことを知っている(自認でも可)人ほど怪談や都市伝説に傾倒する人が多いと思う。自分が知った世界が思ったよりもつまらないと感じてしまったから、摂理の外にいる存在に刺激という名の救いを求める、その手段として怪談を嗜むのだろう。

実際に、ニコラ・テスラやエジソンなど、稀代の科学者も多くの人がオカルトに傾倒しているし、悪い意味で有名なカルト宗教のメンバーに高学歴の人物が多かった、という事実もある。彼らはきっと、自分が理解した世界が退屈だったのだろう。そして、新しい刺激を求めてオカルトや新興宗教に手を伸ばした。純粋な知識欲もあるかもしれないが、知識欲は他でいくらでも発散ができるはずだ。わざわざ怪談という手段を選ぶのは、世の中に感じる退屈さが根本にあるのではなかろうか。

以上のことを考えると、自分が怪談を好きな理由が少しだけわかった気がする。僕は今の生活に退屈しているのかもしれない。それ故に、目に見えない存在を仮定して、『あるかもしれない』可能性に期待しているのだろう。

以上、雑記でした。

文責:暗渠 累(あんきょ かさね)

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