太田母斑〜治療方法との出会い
太田母斑と知らずに皮膚科を受診した二十歳の頃、太田母斑には対処方法は皮膚移植しかありませんでした。
それまではファンデーションとコンシーラーで必死に隠してたのですが、カバーマークを知ってからは濃いお化粧をしなくなりました。
アザは仕方ない。これも私の個性なんだと受け入れようと言う姿勢に変わりつつありました。
でも。それからちょっとした事件が起きます。
私は日本の大学を辞めてアメリカの大学に入学しなおし、大学の学生寮に住んでいました。
ルームメイトは10人。その中に学校一の美人がいて彼女目当てにたくさんの男子が訪ねて来てたんです。
ある日。夜酔った男子が二人やってきて彼女はいないかと聞いてきました。
夜中ですから、私は部屋着でスッピンです。突然の訪問に不機嫌な対応だったと思います。
その対応もあってか、私の顔を見て彼等が「その顔一体どうしたの?彼氏に殴られた?」と笑いながら言ってきたんです。
酷い。私を傷つけようとして言ってるんだと感じました。
夜中に酔って訪ねて来ただけでも失礼なのに、何でこんな風に言われなきゃいけないんだろ。頭に来ました。
寮には全体を統括する総長がいます。学生の世話役です。
総長に彼等が酔って夜中に訪ねて来たことや顔を揶揄われたことを翌朝相談しました。
すると。
総長がものすごく怒り出して「それは酷い。ハラスメントだ、許されることではない」と学校に提訴しました。
たちまち会議となり、その男子二人には寮からの退去と停学の処分が下されました。
謝罪も受けました。が。私のアザがこんな大事を招いてしまったことに私は深く傷つきました。
顔にアザがなかったら、揶揄われることもなかったし、こんなに傷つくこともなかったはずだと。
アザはやっと自分の一部だと受け入れ始めた矢先、私はアザがまた憎くなってしまいました。
天というか、こういう顔になった運も憎みました。
…なんで神様は私にこんなものを与えたんだろ。
でもその事件が転機を呼んでくれました。
事件の顛末を知った学生寮の保健師さんがアザを除去する手術があることを教えてくれて、紹介状を書いてくれたんです。
場所はニューヨークシティ。NYUの大学病院のドクターを紹介してくれました。
5に続く→スィッチルビーレーザー光線でアザが消える?